1 鼠 一等戦闘艦××の横須賀軍港へはいったのは六月にはいったばかりだった。軍港を囲んだ山々はどれも皆雨のために煙っていた。元来軍艦は碇泊したが最後、鼠の殖えなかったと云うためしはない。――××もまた同じこ・・・ 芥川竜之介 「三つの窓」
・・・彼は好奇心の余り、小樽港に碇泊している船について調べて見たが、一隻の軍艦もいないことを発見した。而してその不思議な光は北極光の余翳であるのを略々確めることが出来た。北海道という処はそうした処だ。 私が学生々活をしていた頃には、米国風な広・・・ 有島武郎 「北海道に就いての印象」
・・・が、私はそれよりも、沖に碇泊した内国通いの郵船がけたたましい汽笛を鳴らして、淡い煙を残しながらだんだん遠ざかって行くのを見やって、ああ、自分もあの船に乗ったら、明後日あたりはもう故郷の土を踏んでいるのだと思うと、意気地なく涙が零れた。海から・・・ 小栗風葉 「世間師」
・・・しかしこの船宿は、かの待合同様な遊船宿のそれではない、清国の津々浦々から上って来る和船帆前船の品川前から大川口へ碇泊して船頭船子をお客にしている船乗りの旅宿で、座敷の真中に赤毛布を敷いて、欅の岩畳な角火鉢を間に、金之助と相向って坐っているの・・・ 小栗風葉 「深川女房」
・・・福山すなわち松前と往時は云いし城下に暫時碇泊しけるに、北海道には珍らしくもさすがは旧城下だけありて白壁づくりの家など眸に入る。此地には長寿の人他処に比べて多く、女も此地生れなるは品よくして色麗わしく、心ざま言葉つきも優しき方なるが多きよし、・・・ 幸田露伴 「突貫紀行」
・・・つまり船は、この島の陰のほうに廻って、それから碇泊するのだろうと思った。そう思ったら、少し安心した。私は、よろめきながら船尾のほうへ廻ってみた。新潟は、いや日本の内地は、もう見えない。陰鬱な、寒い海だ。水が真黒の感じである。スクリュウに捲き・・・ 太宰治 「佐渡」
・・・という小品の中に、港内に碇泊している船の帆柱に青い火が灯っているという意味のことを書いてあるのに対して、船舶の燈火に関する取締規則を詳しく調べた結果、本文のごとき場合は有り得ないという結論に達したから訂正したらいいだろうと云ってよこした人が・・・ 寺田寅彦 「随筆難」
・・・四月二日 呉淞で碇泊している。両岸は目の届く限り平坦で、どこにも山らしいものは見えない。 シナ人の乞食が小船でやって来て長い竿の先に網を付けたのを甲板へさし出す。小船の苫屋根は竹で編んだ円頂で黒くすすけている。艫に大きな飯たき釜・・・ 寺田寅彦 「旅日記から(明治四十二年)」
・・・ 船は荷積をするため二日二晩碇泊しているので、そのあいだに、わたくしは一人で京都大阪の名所を見歩き、生れて初めての旅行を娯しんだ。しかしその時の事は、大方忘れてしまった中に、一つ覚えているのは、文楽座で、後に摂津大掾になった越路太夫の、・・・ 永井荷風 「十九の秋」
・・・お三日という午過ぎなぞ参詣戻りの人々が筑波根、繭玉、成田山の提灯、泥細工の住吉踊の人形なぞ、さまざまな玩具を手にさげたその中には根下りの銀杏返しや印半纏の頭なども交っていて、幾艘の早舟は櫓の音を揃え、碇泊した荷舟の間をば声を掛け合い、静な潮・・・ 永井荷風 「深川の唄」
出典:青空文庫