・・・ための既成のモラルやヒューマニズムの額縁は、かえって人間冒涜であり、この日常性の額縁をたたきこわすための虚構性や偶然性のロマネスクを、低俗なりとする一刀三拝式私小説の芸術観は、もはや文壇の片隅へ、古き偶像と共に追放さるべきものではなかろうか・・・ 織田作之助 「可能性の文学」
・・・相手をよく評価せずに偶像崇拝に陥る。相手の分不相応な大きな注文を盛りあげて、自分でひとり幻滅する。相手の異性をよく見わけることは何より肝要なことだ。恋してからは目が狂いがちだから、恋するまでに自分の発情を慎しんで知性を働らかせなければならぬ・・・ 倉田百三 「学生と生活」
・・・考えてみると自分も結局は一種の偶像崇拝者かもしれない。しかしこんな偶像さえも持たなかったら自分はどんなにさびしい事だろう。 P君は moral という文字と ethics という言語に対して不思議な反感をいだいている。そしてこれに相当す・・・ 寺田寅彦 「丸善と三越」
・・・様々な神や仏の偶像も出て来るが一つとして欠け損じていないのはない。茶褐色に変ったげんげやばらの花束や半分喰い欠いだ林檎もあった。修学証書や辞令書のようなものの束ねたのを投げ出すと黴臭い塵が小さな渦を巻いて立ち昇った。 定規のようなものが・・・ 寺田寅彦 「厄年と etc.」
・・・先ず彎曲した屋根を戴き、装飾の多い扉の左右に威嚇的の偶像を安置した門を這入ると真直な敷石道が第二の門の階段に達している。敷石道の左右は驚くほど平かであって、珠の如く滑かな粒の揃った小石を敷き、正方形に玉垣を以て限られた隅々に銅の燈籠を数・・・ 永井荷風 「霊廟」
・・・ 今の人から見れば、完全かも知れないが実際あるかないか分らない理想的人物を描いて、それらの偶像に向って瞬間の絶間なく努力し感激し、発憤し、また随喜し渇仰して、そうして社会からは徳義上の弱点に対して微塵の容赦もなく厳重に取扱われて、よく人・・・ 夏目漱石 「文芸と道徳」
・・・三度目に敲いた音が、物静かな夜を四方に破ったとき、偶像の如きウィリアムは氷盤を空裏に撃砕する如く一時に吾に返った。紙片を急に懐へかくす。敲く音は益逼って絶間なく響く。開けぬかと云う声さえ聞える。「戸を敲くは誰ぞ」と鉄の栓張をからりと外す・・・ 夏目漱石 「幻影の盾」
・・・から思想を抽象するのではなく、逆に、思想を人に割当て、或る概念の偶像を拵らえようとしていたのだとも云えるだろう。 女性に就て云っても、或る時には、感情的、理智的又は智的、無智等と云う大まかな、蕪雑な批評で安んじるような傾向が決して無いと・・・ 宮本百合子 「概念と心其もの」
・・・ ジイドが、彼の才能と称され、又誤って評価された観念性によって新しい一つの社会を偶像化して空想したことは彼の自由である。又それに幻滅した主観の上に立って悪意の多い著述をすることも彼の自由であろう。然し、我々の人間性による自由、良心的な知・・・ 宮本百合子 「こわれた鏡」
・・・ 先ず本国の愛蘭より却って米国に於て早く認められて今は一部の偶像のように成っている Lord Dunsany に就て書こう。彼の経歴は厨川白村氏の印象記の中に委しく書かれているからやめて作品に移る。 彼は全く白村氏の書かれた通り・・・ 宮本百合子 「最近悦ばれているものから」
出典:青空文庫