・・・すなわち、上述の重合部が前句のほとんど全面積をおおっていて、切り捨てた残部があまりに僅少になるためである。さて以上の心理から起こるアタヴィズム的傾向は連句の規約上厳重に抑制せられるから、少なくも完成した古人の連句集には原則としては現われない・・・ 寺田寅彦 「連句雑俎」
・・・ 大正十二年の秋東京の半を灰にした震災の惨状と、また昭和以降の世態人情とは、わたくしのような東京に生れたものの心に、釈氏のいわゆる諸行無常の感を抱かせるに力のあった事は決して僅少ではない。わたくしは人間の世の未来については何事をも考えた・・・ 永井荷風 「西瓜」
・・・然し彼等は其僅少な金銭の為に節操を穢しつつある。瞽女でも相当の年頃になれば人に誉められたいのが山々で見えぬ目に口紅もさせば白粉も塗る。お石は其時世を越えて散々な目に逢って来たのである。幾度か相逢ううちにお石も太十の情に絆された。そうでなくと・・・ 長塚節 「太十と其犬」
・・・何しろ人間一生のうちで数えるほどしかない僅少の場合に道義の情火がパッと燃焼した刹那を捉えて、その熱烈純厚の気象を前後に長く引き延ばして、二六時中すべてあのごとくせよと命ずるのは事実上有り得べからざる事を無理に注文するのだから、冷静な科学的観・・・ 夏目漱石 「文芸と道徳」
・・・ 小さい金入れの紛失から、彼等の蒙った金銭上の損害は僅少であった。中には、失望したろうと思われる位の小銭しか入って居なかった。ただ、机や用箪笥の鍵が共に無くなったのは不便であった。其とても、世間に同型のものが無いわけではない。――愛・・・ 宮本百合子 「斯ういう気持」
・・・封建的な諸現象には反対しながら、自分と社会とを封建から根本的に解放するキイ・ポイントがどこにあるかということについては、実に信じられないほど僅かしか知らず、漠然としかしらず、しかもその僅少な理解と漠然たる翹望は、今日、ちっとも民主的でもない・・・ 宮本百合子 「誰のために」
・・・経済的に、自分の得るものは現在の処極僅少である。従って、貯蓄はない。 二人の分を合わせて三百円もあるだろうか。 朝、大抵八時半から九時半までに起る。朝飯後、一時頃まで書きつづけて食事にする。 それから髪を結い、日当ぼっこをし乍ら・・・ 宮本百合子 「小さき家の生活」
・・・それと共に、彼女が、出来る丈、人並より僅少に思われる幸福の割前を逃すまいとするのも、嘲笑するどころのことではありません。 ここで、考えは、いや応なく、又、それならばどうしたらよいか、と云う基点まで逆戻りをしなければ成らなく成って仕舞った・・・ 宮本百合子 「ひしがれた女性と語る」
・・・目に映る民衆の大部分は、営々として、また黙々として、僅少の労銀のために汗を流している人々である。彼らはその労働を怠ることなくしてはこの老人の饒舌に耳を傾けることができない。そうして父が痛撃しようと欲する過激運動者のごときは一人も目に入らない・・・ 和辻哲郎 「蝸牛の角」
出典:青空文庫