・・・我が王朝文弱の時代にその風を成し、玉の盃底なきが如しなどの語は、今に至るまで人口に膾炙する所にして、爾後武家の世にあっては、戸外兵馬の事に忙わしくして内を修むるに遑なく、下って徳川の治世に儒教大いに興りたれども、支那の流儀にして内行の正邪は・・・ 福沢諭吉 「日本男子論」
・・・けだし、支那の儒教は敵なきがゆえに、その惑溺をたくましゅうし、日本の儒教は勁敵に敵して自から警めたるものなり。かつ我が儒者はたいがい皆、武人の家に生れたる者にして、文采風流の中におのずから快活の精神を存し、よく子弟を教育してその気風を養い、・・・ 福沢諭吉 「物理学の要用」
・・・なる思想は露文学から養われた点もあるが、もっと大関係のあるのは、私が受けた儒教の感化である。話は少し以前に遡るが、私は帝国主義の感化を受けたと同時に、儒教の感化をも余程蒙った。だから一方に於ては、孔子の実践躬行という思想がなかなか深く頭に入・・・ 二葉亭四迷 「予が半生の懺悔」
・・・仏教や儒教が、女らしさにますます忍苦の面を強要している。孟母三遷というような女の積極的な判断が行動へあらわれたような例よりも、女は三界に家なきもの、女は三従の教えにしたがうべきもの、それこそ女らしいこととされた。従って女としてのそういう苦痛・・・ 宮本百合子 「新しい船出」
・・・ 徳川時代というものの中で眺める馬琴というような作家は、同時代の庶民的情調に立つ軟文学の気風に対して、教養派のくみであったろうが、馬琴の芸術家としての教養の実体はモラルとしての儒教に支那伝奇小説の翻案的架空性を加えたものが本道をなしてい・・・ 宮本百合子 「作家と教養の諸相」
・・・万葉集以前の古事記や日本書紀の中で、最初に描かれた女性であるイザナミノミコトは、古事記を編纂させた人は女帝であったにもかかわらず、それを書いた博士たちの儒教風な観念によって、男尊女卑の立場においてかかれている。 万葉集は、この歌集の出来・・・ 宮本百合子 「女性の歴史」
・・・同時に、一日本人としての漱石自身が十八世紀のイギリスを俗っぽいと感じ、下等だ、と感じるその感じかたについて、どこまで過去の儒教的な教育ののこりが自身の心持の底に作用しているか、所謂文人的教養の趣味が評価に際してつよく影響しているかということ・・・ 宮本百合子 「風俗の感受性」
・・・ 聖人というのは支那の儒教の聖人のことなのだが、女の生涯は、この七箇条を見たばかりでも、何と息も詰るばかりの有様だろう。嫁、妻として求められているものは絶対の従順と忍耐とであって、最大の恥辱とされている七去の条件にしろ、それらはあくまで・・・ 宮本百合子 「三つの「女大学」」
・・・亡くなられた洪川和尚などは、もと儒教をやられて、中年からの修業で御座いましたが、僧になってから三年の間と云うもの丸で一則も通らなかったです。夫で私は業が深くて悟れないのだと云って、毎朝厠に向って礼拝された位でありましたが、後にはあのような知・・・ 宮本百合子 「余録(一九二四年より)」
・・・この政策の核心は、日本人に対する精神的指導権を、仏教から儒教に移した、という点にあるであろう。かかる政策を激成したものは、キリシタンの運動の刺戟であったと思われる。 秀吉がキリシタン追放令を発布してから六年後の文禄二年に、当時五十二歳で・・・ 和辻哲郎 「埋もれた日本」
出典:青空文庫