・・・お前は兄さんじゃないか? 弟を相手に喧嘩なんぞして、何がお前は面白いんだえ?」 母にこう叱られると、兄はさすがに震え声だったが、それでも突かかるように返事をした。「洋一が悪いんです。さきに僕の顔へトランプを叩きつけたんだもの。」・・・ 芥川竜之介 「お律と子等と」
・・・「兄さんはどんな人?」「どんな人って……やっぱり本を読むのが好きなんですよ。」「どんな本を?」「講談本や何かですけれども。」 実際その家の窓の下には古机が一つ据えてあった。古机の上には何冊かの本も、――講談本なども載って・・・ 芥川竜之介 「彼」
・・・私の顔が見えると妹は後の方からあらん限りの声をしぼって「兄さん来てよ……もう沈む……苦しい」 と呼びかけるのです。実際妹は鼻の所位まで水に沈みながら声を出そうとするのですから、その度ごとに水を呑むと見えて真蒼な苦しそうな顔をして私を・・・ 有島武郎 「溺れかけた兄妹」
・・・そうしたら部屋のむこうに日なたぼっこしながら衣物を縫っていた婆やが、眼鏡をかけた顔をこちらに向けて、上眼で睨みつけながら、「また泣かせて、兄さん悪いじゃありませんか年かさのくせに」 といったが、八っちゃんが足をばたばたやって死にそう・・・ 有島武郎 「碁石を呑んだ八っちゃん」
・・・小児三 だって、兄さん怒るだろう。画工 俺が怒る、何を……何を俺が怒るんだ。生命がけで、描いて文部省の展覧会で、平つくばって、可いか、洋服の膝を膨らまして膝行ってな、いい図じゃないぜ、審査所のお玄関で頓首再拝と仕った奴を、紙鉄砲で、・・・ 泉鏡花 「紅玉」
・・・「うざくらし、厭な――お兄さん……」 芝居がえりの過ぎたあと、土塀際の引込んだ軒下に、潜戸を細目に背にした門口に、月に青い袖、帯黒く、客を呼ぶのか、招くのか、人待顔に袖を合せて、肩つき寒く佇んだ、影のような婦がある。と、裏の小路から・・・ 泉鏡花 「みさごの鮨」
・・・「省作お前そんなこと言っちゃいけない。兄さんと満蔵はいつでも餅ときまってるから、お前は鮓になってもらわんけりゃ困る。わたしとおはまが鮓で餅の方も二人だから、省作が鮓となればこっちが三人で多勢だから鮓ときまるから……」 省作は相変わら・・・ 伊藤左千夫 「隣の嫁」
・・・兄がそういえばお繁さんは、兄さんはそれだからいけないわ。今の若さで東京が恋しくないのは、男の癖に因循な証拠ですよ。生意気いうようだけど、柏崎に居ったって東京を忘れられては困るわね矢代さん。そうですとも僕は令妹の御考えに大賛成だ。 こんな・・・ 伊藤左千夫 「浜菊」
・・・「うそだ、少くとも二十七だろう?」「じゃア、そうしておいて!」「お父さんはあるの?」「あります」「何をしている?」「下駄屋」「おッ母さんは?」「芸者の桂庵」「兄さんは?」「勧工場の店番」「姉さんは・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・「兄さん、よく光るね。」と、弟が、かごをのぞきながらいいますと、「ああ、これがいちばんよく光るよ。」と、兄はかごの中で動いている、よく光るほたるを指さしながらいいました。「兄さん、牛ぼたるなんだろう?」「牛ぼたるかしらん。」・・・ 小川未明 「海ぼたる」
出典:青空文庫