・・・は許婚に有之候然るに御身は殊の外彼の人を忌嫌い候様子、拙者の眼に相見え候えば、女ながらも其由のいい聞け難くて、臨終の際まで黙し候さ候えども、一旦親戚の儀を約束いたし候えば、義理堅かりし重隆殿の先人に対し面目なく、今さら変替相成らず候・・・ 泉鏡花 「琵琶伝」
・・・寒月の放胆無礙な画風は先人椿岳の衣鉢を承けたので、寒月の画を鑑賞するものは更に椿岳に遡るべきである。 椿岳の画の豪放洒脱にして伝統の画法を無視した偶像破壊は明治の初期の沈滞萎靡した画界の珍とする処だが、更にこの畸才を産んだ時代に遡って椿・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・ 人間共存のシンパシィと、先人の遺産ならびに同時代者の寄与とに対する敬意と感謝の心とをもって書物は読まるべきである。たとい孤独や、呪詛や、非難的の文字の書に対するときにも、これらの著者がこれを公にした以上は、共存者への「訴えの心」が潜在・・・ 倉田百三 「学生と読書」
・・・われわれの尊い先人の作をできるだけ熱心に読まねばならぬ。これを怠っては芸術の成長の一つの大きな滋養を失うことになる。いい人のものはたくさん読むだけ良い。しかし読書は考えたり観察したりすることほど大切ではない。良く考え良く観察し、良く・・・ 倉田百三 「芸術上の心得」
・・・一体科学者が自己の研究を発表するに当って、その当面の問題に聯関した先人の研究を引用し批評するのは当然の務めである事は申すまでもない。しかしこれが往々にして骨董的傾向を帯びる事がある。すなわち当面の問題に多少の関係さえあれば、これが如何に目下・・・ 寺田寅彦 「科学上の骨董趣味と温故知新」
・・・明らかになり、同時に元素の原子の内部の構造も考えなければならぬようになった、そしてその構造は今日のところ未解決の問題でこれも今後学者の研究によって追々に明らかになるであろう、皆さんも一つ大きくなったら先人未発の新事実でも発見するくらいに勉強・・・ 寺田寅彦 「研究的態度の養成」
・・・学校の教科書を鵜のみにし、先人の研究をその孫引きによって知り、さらに疑う所なくしてこれを知り博学多識となるものはかくのごとき仕事はしとげられないのである。 しかれども大いに驚き大いに疑う無知者愚者となるためにはまたひろく知り深く学ばねば・・・ 寺田寅彦 「知と疑い」
・・・国人に対しての罪なりしもの、今日にありては、天に対し同国人に対し、かねてまた外国人に対して体面を失し、その結局は我が本国の品価を低くして、全国の兄弟ともにその禍を蒙るのみならず、二千余年の独立を保ちし先人をも辱しむるにいたるべし。これを重大・・・ 福沢諭吉 「学者安心論」
・・・自分が文学者として如何うだと云う批評や野心等は抜きにして、青年のような熾な愛、帰依で先人の文を追想し得た尊い心情の持ち主であると云う感服。 他の一方は。――彼も、ヴィクトリア時代の考証癖を脱し切れず、自分がこれはどう感じ見るかと思うより・・・ 宮本百合子 「無題(四)」
・・・通例は何らかの仕方で度の合わせ方を先人から習う。それを自覚的にしたのが様式の理解なのである。 では能面の様式はどこにその特徴を持っているであろうか。自分はそれを自然性の否定に認める。数多くの能面をこの一語の下に特徴づけるのはいささか冒険・・・ 和辻哲郎 「能面の様式」
出典:青空文庫