・・・それには丁度先刻しがた眼を覚して例の小草を倒に這降る蟻を視た時、起揚ろうとして仰向に倒けて、伏臥にはならなかったから、勝手が好い。それで此星も、成程な。 やっとこなと起かけてみたが、何分両脚の痛手だから、なかなか起られぬ。到底も無益だと・・・ 著:ガールシンフセヴォロド・ミハイロヴィチ 訳:二葉亭四迷 「四日間」
・・・ 彼はそうした自分のことを細かく訊かれるのを避けるつもりで、先刻から気にしていたことを口に出した。「馬鹿云え……」横井は斯う云って、つくばったまゝ腰へ手を廻して剣の柄を引寄せて見せ、「見給え、巡査のとは違うじゃないか。帽子の徽章・・・ 葛西善蔵 「子をつれて」
・・・そして、「先刻あなたはシューベルトの『ドッペルゲンゲル』を口笛で吹いてはいなかったですか」「ええ。吹いていましたよ」 と私は答えました。やはり聞こえてはいたのだ、と私は思いました。「影と『ドッペルゲンゲル』。私はこの二つに、・・・ 梶井基次郎 「Kの昇天」
・・・お父様は先刻どこへかお出かけでしたな。といつもの調子軽し。 ですが親父が帰って来て案じるといけませんから、あまり遠くへは出られませぬ。と光代は浮足。なに、お部屋からそこらはどこもかしこも見通しです。それに私もお付き申しているから、と言っ・・・ 川上眉山 「書記官」
・・・ 然るに八時は先刻打っても人々は未だなかなか散じそうな様子も見えない。人力車が六台玄関の横に並んでいたが、車夫どもは皆な勝手の方で例の一六勝負最中らしい。 すると一人の男、外套の襟を立てて中折帽を面深に被ったのが、真暗な中からひょっ・・・ 国木田独歩 「牛肉と馬鈴薯」
・・・ 下りては来ましたが、つい先刻まで一緒にいた人がもう訳も分らぬ山の魔の手にさらわれて終ったと思うと、不思議な心理状態になっていたに相違ありません。で、我はそういう場合へ行ったことがなくて、ただ話のみを聞いただけでは、それらの人の心の中が・・・ 幸田露伴 「幻談」
・・・国家問題に属すと異議なく連合策が行われ党派の色分けを言えば小春は赤お夏は萌黄の天鵞絨を鼻緒にしたる下駄の音荒々しく俊雄秋子が妻も籠れりわれも籠れる武蔵野へ一度にどっと示威運動の吶声座敷が座敷だけ秋子は先刻逃水「らいふ、おぶ、やまむらとしお」・・・ 斎藤緑雨 「かくれんぼ」
・・・「鞠ちゃんは、先刻姉やと一緒に懐古園へ遊びに行って来ました」 とお島は夫に話して、復た乳呑児の顔を眺めた。その児は乳房を押えて飲むほどに成人していた。「俺にもおくれやれ」と鞠子は母が口をモガモガさせるのに目をつけた。「オンに・・・ 島崎藤村 「岩石の間」
・・・けれども今夜は、先刻のラジオのせいもあり、気が弱っているところもございましたので、ふいとその辻占で、自分の研究、運命の行く末をためしてみたくなりました。人は、生活に破れかけて来ると、どうしても何かの予言に、すがりつきたくなるものでございます・・・ 太宰治 「愛と美について」
・・・ 帰りに沓掛の駅でおりて星野行きの乗合バスの発車を待っている間に乗り組んだ商人が運転手を相手に先刻トラックで老婆がひかれたのを目撃したと言って足の肉と骨とがきれいに離れていたといったようなことをおもしろそうに話していた。バスが発車してま・・・ 寺田寅彦 「あひると猿」
出典:青空文庫