・・・それには賢造の先妻が、叔母の身内だと云う理由もある。――洋一は誰かに聞かされた、そんな話を思い出しながら、しばらくの間は不承不承に、一昨年ある呉服屋へ縁づいた、病気勝ちな姉の噂をしていた。「慎ちゃんの所はどうおしだえ? お父さんは知らせ・・・ 芥川竜之介 「お律と子等と」
・・・ター種の深い長い艶々した天鵞絨よりも美くしい毛並と、性質が怜悧で敏捷こく、勇気に富みながら平生は沈着いて鷹揚である咄をして、一匹仔犬を世話をしようかというと、苦々しい顔をして、「イヤ、貰う気はしない、先妻が死んで日柄が経たない中に、どんな美・・・ 内田魯庵 「二葉亭余談」
・・・お定は先妻の子の伊助がお人よしのぼんやりなのを倖い、寺田屋の家督は自身腹を痛めた椙に入聟とってつがせたいらしい。ところが親戚の者はさすがに反対で、伊助がぼんやりなればしっかり者の嫁をあてがえばよいと、お定に頭痛起させてまでむりやり登勢を迎え・・・ 織田作之助 「螢」
・・・その代り、寝覚めの悪い気持がしたので、戒名を聞いたりして棚に祭った。先妻の位牌が頭の上にあるのを見て、柳吉は何となく変な気がしたが、出しゃ張るなとも言わなかった。言えば何かと話がもつれて面倒だとさすがに利口な柳吉は、位牌さえ蝶子の前では拝ま・・・ 織田作之助 「夫婦善哉」
・・・独身どころか、いまの細君は後妻である。先妻は、白痴の女児ひとりを残して、肺炎で死に、それから彼は、東京の家を売り、埼玉県の友人の家に疎開し、疎開中に、いまの細君をものにして結婚した。細君のほうは、もちろん初婚で、その実家は、かなり内福の農家・・・ 太宰治 「グッド・バイ」
・・・が、主婦が新潟の人である事、主人はもとは士族で先妻に子まであった事、そして先妻がなくなったあとそれまで下女であった今の主婦を入れた事などは友や主婦自身の口から知った僅かな事実の主なる部分であった。しかし雪ちゃんが主婦の実子か否と云う事は聞き・・・ 寺田寅彦 「雪ちゃん」
・・・ただに主僕の間のみならず、後妻をめとりて先妻を想うの例もあり。親愛尽きはてたる夫婦の間も、遠ざかればまた相想うの情を起すにいたるものならん。されば今、店子と家主と、区長と小前と、その間にさまざまの苦情あれども、その苦情は決して真の情実を写し・・・ 福沢諭吉 「学者安心論」
・・・ 彼女は先妻の妹である。まだ年は若いのだが、彼女の姉が死んでまだ間もなく先の夫と結婚したのだが、神経病で死にそうだと云う。 雷のひどくなる晩、*を見て居て、ひどくショックを受けたのだと云う。 けれども、先妻の死んだ部屋だというの・・・ 宮本百合子 「樹蔭雑記」
出典:青空文庫