・・・私は先達ても今日の通り、唯一色の黒の中に懶い光を放っている、大きな真珠のネクタイピンを、子爵その人の心のように眺めたと云う記憶があった。……「どうです、この銅版画は。築地居留地の図――ですか。図どりが中々巧妙じゃありませんか。その上明暗・・・ 芥川竜之介 「開化の良人」
・・・「先達、佐渡殿も云われた通り、この病体では、とても御奉公は覚束ないようじゃ。ついては、身共もいっそ隠居しようかと思う。」 宇左衛門は、ためらった。これが本心なら、元よりこれに越した事はないが、どうして、修理はそれほど容易に、家督を譲・・・ 芥川竜之介 「忠義」
・・・(僕は突然K君の夫人に「先達それからもう故人になった或隻脚の飜訳家もやはり銀座の或煙草屋に第二の僕を見かけていた。死は或は僕よりも第二の僕に来るのかも知れなかった。若し又僕に来たとしても、――僕は鏡に後ろを向け、窓の前の机へ帰って行った。・・・ 芥川竜之介 「歯車」
・・・否むしろ先達たる大都市が十年にして達しえた水準へ五年にして達しうるのが後進たる小都市の特権である。東京市民が現に腐心しつつあるものは、しばしば外国の旅客に嗤笑せらるる小人の銅像を建設することでもない。ペンキと電灯とをもって広告と称する下等な・・・ 芥川竜之介 「松江印象記」
・・・学者も思想家も、労働者の先達であり、指導者であるとの誇らしげな無内容な態度から、多少の覚醒はしだしてきて、代弁者にすぎないとの自覚にまでは達しても、なお労働問題の根柢的解決は自分らの手で成就さるべきものだとの覚悟を持っていないではない。労働・・・ 有島武郎 「宣言一つ」
・・・……先達って、奥様がお好みのお催しで、お邸に園遊会の仮装がございました時、私がいたしました、あの、このこしらえが、余りよく似合ったと、皆様がそうおっしゃいましたものでございますから、つい、心得違いな事をはじめました。あの……後で、御前様が御・・・ 泉鏡花 「紅玉」
・・・少年は少し弱りて、「それでなくッてさえ、先達のような騒がはじまるものを、そんなことをしようもんなら、それこそだ。僕アまた駈出して行かにゃあならない。」「ほんとうに、あの時は。ま、どうしようと思ったわ。 芳さんは駈出してしまって二・・・ 泉鏡花 「化銀杏」
・・・ 年とったがんが、彼らの先達でありました。つぎにりこうなSがんと、勇敢なKがんがつづきました。そして、しんがりを注意深いBがんがつとめ、弱いものをば列の真ん中にいれて、長途の旅についたのであります。 冬へかけての旅は、烈しい北風に抗・・・ 小川未明 「がん」
・・・「そら先達東京から帰って来た奥野さんに習った。しかしまだ習いたてだから何にも書けない。」「コロンブスは佳く出来ていたね、僕は驚いちゃッた。」 それから二人は連立って学校へ行った。この以後自分と志村は全く仲が善くなり、自分は心から・・・ 国木田独歩 「画の悲み」
・・・貧乏には慣れてるがお源も未だ泥棒には慣れない。先達からちょくちょく盗んだ炭の高こそ多くないが確的に人目を忍んで他の物を取ったのは今度が最初であるから一念其処へゆくと今までにない不安を覚えて来る。この不安の内には恐怖も羞恥も籠っていた。 ・・・ 国木田独歩 「竹の木戸」
出典:青空文庫