・・・しかし、これはほとんど技術が入らず、釣りのうちに入るかどうかわからない。 そこへ行くと、イイダコの方はちょっと技術を要する。イイダコはあまり深くない砂地のところにいるが、エサはなにもいらない。なんでもかまわないから、白色のものさえあれば・・・ 火野葦平 「ゲテ魚好き」
・・・て、即ち醜体百戯、芸妓と共に歌舞伎をも見物し小歌浄瑠璃をも聴き、酔余或は花を弄ぶなど淫れに淫れながら、内の婦人は必ず女大学の範囲中に蟄伏して独り静に留守を守るならんと、敢て自から安心してます/\佳境に入るの時間なり。左れば記者が特に婦人を警・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・何だか不思議に心に沁み入るような調べだ。あの男が下らぬ事を饒舌ったので、己まで気が狂ったのでもあるまい。人の手で弾くヴァイオリンからこんな音の出るのを聞いたことはこれまでに無いようだ。(右の方に向き、耳を聳何だか年頃聞きたく思っても聞かれな・・・ 著:ホーフマンスタールフーゴー・フォン 訳:森鴎外 「痴人と死と」
・・・御はふりの御わざはてにけるまたの日、泉涌寺に詣たりけるに、きのふの御わざのなごりなべて仏さまに物したまへる御ありさまにうち見奉られけるを畏けれどうれはしく思ひまつりてゆゆしくも仏の道にひき入るる大御車のうしや世の中 曙覧・・・ 正岡子規 「曙覧の歌」
・・・「学校さ入るのだな。」みんなはがやがやがやがや云いました。ところが五年生の嘉助がいきなり「ああ、三年生さ入るのだ。」と叫びましたので「ああ、そうだ。」と小さいこどもらは思いましたが一郎はだまってくびをまげました。 変なこどもはや・・・ 宮沢賢治 「風野又三郎」
・・・熱が出ると悪いと思って家へ入る。 それでもまだ寒い。 かんしゃくが起る。 秋風が身にしみる。「ああああ夜になるのかなあ」と思うと急にあたりに気を配る――午後六時。 宮本百合子 「秋風」
・・・まだ猪之助といって、前髪のあったとき、たびたび話をしかけたり、何かに手を借してやったりしていた年上の男が、「どうも阿部にはつけ入る隙がない」と言って我を折った。そこらを考えてみると、忠利が自分の癖を改めたく思いながら改めることの出来なかった・・・ 森鴎外 「阿部一族」
・・・今柳橋で美人に拝まれる月も昔は「入るべき山もなし」、極の素寒貧であッた。実に今は住む百万の蒼生草,実に昔は生えていた億万の生草。北は荒川から南は玉川まで、嘘もない一面の青舞台で、草の楽屋に虫の下方,尾花の招引につれられて寄り来る客は狐か、鹿・・・ 山田美妙 「武蔵野」
・・・彼は彼女のその歎声の秘められたような美しさを聴くために、戸外から手に入る花という花を部屋の中へ集め出した。 薔薇は朝毎に水に濡れたまま揺れて来た。紫陽花と矢車草と野茨と芍薬と菊と、カンナは絶えず三方の壁の上で咲いていた。それは華やかな花・・・ 横光利一 「花園の思想」
・・・り動かして行く風が消えるように通りすぎたあとには、――また田畑の色が豊かに黄ばんで来たのを有頂天になって喜んでいるらしいおしゃべりな雀が羽音をそろえて屋根や軒から飛び去って行ったあとには、ただ心に沁み入るような静けさが残ります。葉を打つ雨の・・・ 和辻哲郎 「ある思想家の手紙」
出典:青空文庫