・・・御はふりの御わざはてにけるまたの日、泉涌寺に詣たりけるに、きのふの御わざのなごりなべて仏さまに物したまへる御ありさまにうち見奉られけるを畏けれどうれはしく思ひまつりてゆゆしくも仏の道にひき入るる大御車のうしや世の中 曙覧・・・ 正岡子規 「曙覧の歌」
・・・「学校さ入るのだな。」みんなはがやがやがやがや云いました。ところが五年生の嘉助がいきなり「ああ、三年生さ入るのだ。」と叫びましたので「ああ、そうだ。」と小さいこどもらは思いましたが一郎はだまってくびをまげました。 変なこどもはや・・・ 宮沢賢治 「風野又三郎」
・・・熱が出ると悪いと思って家へ入る。 それでもまだ寒い。 かんしゃくが起る。 秋風が身にしみる。「ああああ夜になるのかなあ」と思うと急にあたりに気を配る――午後六時。 宮本百合子 「秋風」
・・・今のように特別に暑くなった時でなくても、執務時間がやや進んでから、便所に行った帰りに、廊下から這入ると、悪い烟草の匂と汗の香とで噎せるような心持がする。それでも冬になって、煖炉を焚いて、戸を締め切っている時よりは、夏のこの頃が迥かにましであ・・・ 森鴎外 「あそび」
・・・今柳橋で美人に拝まれる月も昔は「入るべき山もなし」、極の素寒貧であッた。実に今は住む百万の蒼生草,実に昔は生えていた億万の生草。北は荒川から南は玉川まで、嘘もない一面の青舞台で、草の楽屋に虫の下方,尾花の招引につれられて寄り来る客は狐か、鹿・・・ 山田美妙 「武蔵野」
・・・ 灸は部屋の中へ這入ると暫く明けた障子に手をかけて立っていた。女の子は彼の傍へ寄って来て、「アッ、アッ。」といいながら座蒲団を灸の胸へ押しつけた。 灸は座蒲団を受けとると女の子のしていたようにそれを頭へ冠ってみた。「エヘエヘ・・・ 横光利一 「赤い着物」
・・・り動かして行く風が消えるように通りすぎたあとには、――また田畑の色が豊かに黄ばんで来たのを有頂天になって喜んでいるらしいおしゃべりな雀が羽音をそろえて屋根や軒から飛び去って行ったあとには、ただ心に沁み入るような静けさが残ります。葉を打つ雨の・・・ 和辻哲郎 「ある思想家の手紙」
出典:青空文庫