・・・昭和十七年八月―― 太宰治 「炎天汗談」
・・・ しかし、八月いっぱいには、約その三分の二を書き上げることができた。で、原稿を関君に渡して、ほっと呼吸をついた。 それから後は、なかば校正の筆を動かしつつ書いた。関君と柴田流星君が毎日のように催促に来る。社のほうだってそう毎日休むわ・・・ 田山花袋 「『田舎教師』について」
・・・たとえば去年は八月半ばにたくさん咲いていた釣舟草がことしの同じころにはいくらも見つからなかった。そうして九月上旬にもう一度行ったときに、温泉前の渓流の向こう側の林間軌道を歩いていたらそこの道ばたにこの花がたくさん咲き乱れているのを発見した。・・・ 寺田寅彦 「あひると猿」
・・・明治四十三年八月の水害と、翌年四月の大火とは遊里とその周囲の町の光景とを変じて、次第に今日の如き特徴なき陋巷に化せしむる階梯をつくった。世の文学雑誌を見るも遊里を描いた小説にして、当年の傑作に匹疇すべきものは全くその跡を断つに至った。 ・・・ 永井荷風 「里の今昔」
・・・――明治四十四年八月大阪において述―― 夏目漱石 「文芸と道徳」
・・・ 明治二年己巳八月慶応義塾同社 誌 福沢諭吉 「慶応義塾新議」
・・・一千九百二十七年八月廿一日稲がとうとう倒れてしまった。ぼくはもうどうしていいかわからない。あれぐらい昨日までしっかりしていたのに、明方の烈しい雷雨からさっきまでにほとんど半分倒れてしまった。喜作のもこっそり行ってみたけれ・・・ 宮沢賢治 「或る農学生の日誌」
・・・〔一九四六年八月〕 宮本百合子 「青田は果なし」
・・・ そのうち刀が出来て来たので、伊織はひどく嬉しく思って、あたかも好し八月十五夜に、親しい友達柳原小兵衛等二三人を招いて、刀の披露旁馳走をした。友達は皆刀を褒めた。酒酣になった頃、ふと下島がその席へ来合せた。めったに来ぬ人なので、伊織は金・・・ 森鴎外 「じいさんばあさん」
・・・私はそれほどの期待もかけず、機会があったらと頼んでおいたのであったが、たしか八月の五、六日ごろのことだったと思う、夜の九時ごろに谷川君がひょっこりやって来て、これから蓮の花を見に行こうという。もう二、三日すれば、お盆のために蓮の花をどんどん・・・ 和辻哲郎 「巨椋池の蓮」
出典:青空文庫