・・・ 宮本は小さい黒板へ公式らしいものを書きはじめた。が、突然ふり返ると、さもがっかりしたように白墨の欠を抛り出した。「どうも素人の堀川君を相手じゃ、せっかくの発見の自慢も出来ない。――とにかく長谷川君の許嫁なる人は公式通りにのぼせ出し・・・ 芥川竜之介 「寒さ」
・・・いわば世相の語り方に公式が出来ているのだ。敗戦、戦災、失業、道義心の頽廃、軍閥の横暴、政治の無能。すべて当然のことであり、誰が考えても食糧の三合配給が先決問題であるという結論に達する。三歳の童子もよくこれを知っているといいたいところである。・・・ 織田作之助 「郷愁」
・・・エロチシズムとかエロ文学なんて言葉は、ただ文学を公式的にしか考えられない一部の批評家の文章の中に出ているだけであります。そういう言葉を流行させたのは実は彼等の評論なのです。彼等はいわゆるエロチシズムの文学を攻撃する文章を極めて真面目な表情で・・・ 織田作之助 「猫と杓子について」
・・・「まあとにかく先方へ行った上で、集った人たちの様子によって第一公式にするか、第二公式にするか、まあそういうことにしようじゃありませんか」と、弟も笑いながら言った。 朝落合の火葬場から持ってきたばかしの遺骨の前で、姉夫婦、弟夫婦、私と・・・ 葛西善蔵 「父の葬式」
・・・感傷の在りかたが、諦念に到達する過程が、心境の動きが、あきらかに公式化せられています。かならずお手本があるのです。誰しもはじめは、お手本に拠って習練を積むのですが、一個の創作家たるものが、いつまでもお手本の匂いから脱する事が出来ぬというのは・・・ 太宰治 「風の便り」
「小説修業に就いて語れ。」という出題は、私を困惑させた。就職試験を受けにいって、小学校の算術の問題を提出されて、大いに狼狽している姿と似ている。円の面積を算出する公式も、鶴亀算の応用問題の式も、甚だ心もとなくいっそ代数でやれ・・・ 太宰治 「答案落第」
・・・一回の見事な実験はそれだけでもう頭の蒸餾瓶の中で出来た公式の二十くらいよりはもっと有益な場合が多い。やっと現象の世界に眼のあきかけた若いものの頭に公式などは一切容赦してやらねばいけない。公式は、丁度世界歴史の年代の数字と同様に、彼等の物理学・・・ 寺田寅彦 「アインシュタインの教育観」
・・・してみると人間の考え方にも一定の公式のようなものがあるかもしれない。その公式からひどく離れるとばかか気違いか天才になるのかもしれない。 こんな空想はどうでもよい事にして、平凡な実際問題として見た時にも、数学の学習と語学の学習とは方法の上・・・ 寺田寅彦 「数学と語学」
・・・いちばん最初に試験をしたときの問題が、別にむつかしいはずはなかったのであるが、中学校の三角の問題のような、公式へはめればすぐできる種類のものでなくて、「吟味」といったような少しねつい種類の問題であったので、みんなすっかり面食らって、きれいに・・・ 寺田寅彦 「田丸先生の追憶」
・・・吾人は生れ落ちて以来馴れ切っている周囲に対して、ちゃんと定まった、しかも極めて便宜的な型や公式ばかりを当て嵌めている。朝起きて顔を洗う金盥の置き方から、夜寝る時の寝衣の袖の通し方まで、無意識な定型を繰返している吾人の眼は、如何に或る意味で憐・・・ 寺田寅彦 「津田青楓君の画と南画の芸術的価値」
出典:青空文庫