その時、私には六十三銭しか持ち合せがなかったのです。 十銭白銅六つ一銭銅貨三つ。それだけを握って、大阪から東京まで線路伝いに歩いて行こうと思ったのでした。思えば正気の沙汰ではない。が、むこう見ずはもともと私にとっては生れつきの気性・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
・・・ 六つ七つの時祖母につれられてきた時分と、庫裡の様子などほとんど変っていないように見えた。お彼岸に雪解けのわるい路を途中花屋に寄ったりして祖母につれられてきて、この部屋で痘痕の和尚から茶を出された――その和尚の弟子が今五十いくつかになっ・・・ 葛西善蔵 「父の葬式」
・・・ 七つの落ち葉の山、六つまで焼きて土曜日の夜はただ一つを余しぬ。この一つより立つ煙ほそぼそと天にのぼれば、淡紅色の霞につつまれて乙女の星先に立ち静かに庭に下れり。詩人が庭のたき火も今夜をかぎりなれば残り惜しく二人は語り、さて帰るさ、庭の・・・ 国木田独歩 「星」
・・・年齢の差が少なくとも五つ、六つ――十くらいはありたいが、二十二、三歳で相手を求めればどうしても齢が近すぎる。といって、十四、五の少女では相手になれまい。 八 最後の立場――運命的恋愛 しかしこうした希望はすべて運命と・・・ 倉田百三 「学生と生活」
・・・それを手にして堤下を少しうろついていたが、何か掘っていると思うと、たちまちにして春の日に光る白い小さい球根を五つ六つ懐から出した半紙の上に載せて戻って来た。ヤア、と云って皆は挨拶した。 鼠股引氏は早速にその球を受取って、懐紙で土を拭って・・・ 幸田露伴 「野道」
・・・あとで考えると、このへんで引き返しさえしたらよかったのに、自分はいつまでも馬の臀について、山畠を五つも六つも越えて、とうとお長の行くところまで行ったのであった。谷合いの畠にお長の双た親と兄の常吉がいた。二三寸延びた麦の間の馬鈴薯を掘っていた・・・ 鈴木三重吉 「千鳥」
・・・またそこに行く途中には柵で囲まれた六つの農場と、六つの門とがあるという事を、百姓から聞かされていました。 でいよいよ出かけました。 やがて二人は石ころや木株のある険しい坂道にかかりましたので、おかあさんは子どもを抱きましたが、なかな・・・ 著:ストリンドベリアウグスト 訳:有島武郎 「真夏の夢」
・・・私は六つ下の二十二歳でありました。 そのとしの、四月ごろから、兄は異常の情熱を以て、制作を開始いたしました。モデルを家に呼んで、大きいトルソオに取りかかった様子でありました。私は、兄の仕事の邪魔をしたくないので、そのころは、あまり兄の家・・・ 太宰治 「兄たち」
・・・小さな門を中に入らなくとも、路から庭や座敷がすっかり見えて、篠竹の五、六本生えている下に、沈丁花の小さいのが二、三株咲いているが、そのそばには鉢植えの花ものが五つ六つだらしなく並べられてある。細君らしい二十五、六の女がかいがいしく襷掛けにな・・・ 田山花袋 「少女病」
・・・たった一部屋限りの食堂は、せいぜい十畳くらいで、そこに並べてある小さな食卓の数も、六つか七つくらいに過ぎなかった。しかし部屋が割合に気持のいい部屋で、すべてが清楚な感じを与えた。のみならず、そこで食わせる料理も、味が軽くて、分量があまり多く・・・ 寺田寅彦 「雑記(2[#「2」はローマ数字、1-13-22])」
出典:青空文庫