・・・それがこの時、夫の事を、あの内気な夫の事を、――いや、夫の事ではない。私に何か云う時の、微笑した夫の顔を、ありあり眼の前に思い出した。私のもくろみが、ふと胸に浮んだのも、恐らくその顔を思い出した刹那の事であったろう。何故と云えば、その時に私・・・ 芥川竜之介 「袈裟と盛遠」
・・・とゆっくり前置きをして、「何しろあんな内気な女が、二三度会ったばかりの僕の所へ、尋ねて来ようと云うんだから、よくよく思い余っての上なんだろう。そう思うと、僕もすっかりつまされてしまってね、すぐに待合をとも考えたんだが、婆の手前は御湯へ行くと・・・ 芥川竜之介 「妖婆」
・・・どっちかといえば、内気な、鈍重な、感情を表面に表わすことをあまりしない、思想の上でも飛躍的な思想を表わさない性質で、色彩にすれば暗い色彩であると考えている。したがって境遇に反応してとっさに動くことができない。時々私は思いもよらないようなこと・・・ 有島武郎 「私の父と母」
・・・もとより内気な女の、先方から声を懸けようとは致しませぬ。小宮山は一晩介抱を引受けたのでありまするから、まず医者の気になりますと物もいい好いのでありました。「姉さん、さぞ心細いだろうね、お察し申す。」「はい。」「一体どんな心持なん・・・ 泉鏡花 「湯女の魂」
・・・――世間、いなずま目が光る―― ――恥を知らぬか、恥じないか――と皆でわあわあ、さも初路さんが、そんな姿絵を、紅い毛、碧い目にまで、露呈に見せて、お宝を儲けたように、唱い立てられて見た日には、内気な、優しい、上品な、着ものの上から触・・・ 泉鏡花 「縷紅新草」
・・・それに民子はあの通りの内気な児でしたから、あなたの事は一言も口に出さない。それはまるきり知らなかったとは申されません。それですからお詫びを申す様な訣……」 僕は皆さんにそんなにお詫びを云われる訣はないという。民子のお父さんはお詫びを言わ・・・ 伊藤左千夫 「野菊の墓」
・・・「詳しうすれば長なろけれど、大石という人はもとから忠実で、柔順で、少し内気な質であったと思い給え。現役であったにも拘らず、第○聨隊最初の出征に加わらなかったんに落胆しとったんやけど、おとなしいものやさかい、何も云わんで、留守番役をつとめ・・・ 岩野泡鳴 「戦話」
・・・ お君というその姪、すなわち、そこの娘も、年は十六だが、叔母に似た性質で、――客の前へ出ては内気で、無愛嬌だが、――とんまな両親のしていることがもどかしくッて、もどかしくッてたまらないという風に、自分が用のない時は、火鉢の前に坐って、目・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・が、気の毒なる哉二葉亭は山本伯とは全く正反対に余りに内気であった、余りに謙遜であった、かつ余りに潔癖であった。切めて山本伯の九牛一毛なりとも功名心があり、粘着力があり、利慾心があり、かつその上に今少し鉄面皮であったなら、恐らく二葉亭は二葉亭・・・ 内田魯庵 「二葉亭余談」
・・・ お爺さんや、お婆さんは、「うちの娘は、内気で恥かしがりやだから、人様の前には出ないのです」と、言っていました。 奥の間でお爺さんは、せっせと蝋燭を造っていました。娘は、自分の思い付きで、きっと絵を描いたら、みんなが喜んで蝋燭を・・・ 小川未明 「赤い蝋燭と人魚」
出典:青空文庫