・・・の字のお上の話によれば、元来この町の達磨茶屋の女は年々夷講の晩になると、客をとらずに内輪ばかりで三味線を弾いたり踊ったりする、その割り前の算段さえ一時はお松には苦しかったそうです。しかし半之丞もお松にはよほど夢中になっていたのでしょう。何し・・・ 芥川竜之介 「温泉だより」
・・・素足に染まって、その紅いのが映りそうなのに、藤色の緒の重い厚ぼったい駒下駄、泥まみれなのを、弱々と内輪に揃えて、股を一つ捩った姿で、降しきる雨の待合所の片隅に、腰を掛けていたのである。 日永の頃ゆえ、まだ暮かかるまでもないが、やがて五時・・・ 泉鏡花 「売色鴨南蛮」
・・・…… ところが若夫人、嫁御というのが、福島の商家の娘さんで学校をでた方だが、当世に似合わないおとなしい優しい、ちと内輪すぎますぐらい。もっともこれでなくっては代官婆と二人住居はできません。……大蒜ばなれのした方で、鋤にも、鍬にも、連尺に・・・ 泉鏡花 「眉かくしの霊」
・・・ 久しぶりでおとよも曇りのない笑いを見せながら、なお何となし控え目に内輪なるは、いささか気が咎むるゆえであろう。 籠を出た鳥の二人は道々何を見ても面白そうだ。道ばたの家に天竺牡丹がある、立ち留って見る。霧島が咲いてる、立ち留って見る・・・ 伊藤左千夫 「春の潮」
・・・今日のような思想上の戦国時代に在っては文人は常に社会に対する戦闘者でなければならぬが、内輪同士では年寄の愚痴のような繰言を陳べてるが、外に対しては頭から戦意が無く沈黙しておる。 二十五年の歳月が聊かなりとも文人の社会的位置を進めたのは時・・・ 内田魯庵 「二十五年間の文人の社会的地位の進歩」
・・・舷の触れ合う音、とも綱の張る音、睡たげな船の灯、すべてが暗く静かにそして内輪で、柔やかな感傷を誘った。どこかに捜して宿をとろうか、それとも今の女のところへ帰ってゆこうか、それはいずれにしても私の憎悪に充ちた荒々しい心はこの港の埠頭で尽きてい・・・ 梶井基次郎 「冬の蠅」
・・・楠ちゃんにも列席してもらいたいとは思いますが、遠方のことでもあり、それに万事内輪にと思いますから、おまえたち兄妹の総代として鶏ちゃんに出席してもらうことにします。 とうさんがこの新しい方針を選んで進もうとするのは、いろいろ前途を熟考した・・・ 島崎藤村 「再婚について」
・・・みんな内輪のものばかりですから」 とお力の方では言ったが、それを納めて貰わないことにはお三輪の気が済まなかった。盆暮の仕着せ、折々の心づけ――あの店のさかんな時分には、小竹の印絆纏や手拭まで染めさせて、どれ程多勢の人を悦ばせたことか。都・・・ 島崎藤村 「食堂」
・・・もっと恥ずかしい内輪のものをさえ買ってもらった。けれどもそれが一体どうしたというのだ。私は貧しい医学生だ。私の研究を助けてもらうために、ひとりのパトロンを見つけたというのは、これはどうしていけないことなのか。私には父も無い、母も無い。けれど・・・ 太宰治 「女の決闘」
・・・私は妻子と共に仏間へ行って、仏さまを拝んで、それから内輪の客だけが集る「常居」という部屋へさがって、その一隅に坐った。長兄の嫂も、次兄の嫂も、笑顔を以て迎えて呉れた。祖母も、女中に手をひかれてやって来た。祖母は八十六歳である。耳が遠くなって・・・ 太宰治 「故郷」
出典:青空文庫