一 東京もはやここは多摩の里、郡の部に属する内藤新宿の町端に、近頃新開で土の色赤く、日当のいい冠木門から、目のふちほんのりと酔を帯びて、杖を小脇に、つかつかと出た一名の瀟洒たる人物がある。 黒の洋服・・・ 泉鏡花 「政談十二社」
・・・ その靴は霜のいと夜深きに、空谷を鳴らして遠く跫音を送りつつ、行く行く一番町の曲がり角のややこなたまで進みけるとき、右側のとある冠木門の下に踞まれる物体ありて、わが跫音に蠢けるを、例の眼にてきっと見たり。 八田巡査はきっと見るに、こ・・・ 泉鏡花 「夜行巡査」
・・・ 田畝を越すと、二間幅の石ころ道、柴垣、樫垣、要垣、その絶え間絶え間にガラス障子、冠木門、ガス燈と順序よく並んでいて、庭の松に霜よけの繩のまだ取られずについているのも見える。一、二丁行くと千駄谷通りで、毎朝、演習の兵隊が駆け足で通ってい・・・ 田山花袋 「少女病」
・・・黒い冠木門の両開き戸をあけるとすぐ玄関で案内を乞うと右脇にある台所で何かしていた老母らしきが出て来た。姓名を告げて漱石師より予て紹介のあった筈である事など述べた。玄関にある下駄が皆女物で子規のらしいのが見えぬのが先ず胸にこたえた。外出と云う・・・ 寺田寅彦 「根岸庵を訪う記」
・・・寒竹の生けがきをめぐらした冠木門をはいると、玄関のわきの坪には蓆を敷き並べた上によく繭を干してあった。玄関から案内を請うと色の黒い奥さんが出て来て「暑いのによう御精が出ますねえ」といって座敷へ導く。きれいに掃除の届いた庭に臨んだ・・・ 寺田寅彦 「花物語」
・・・頭のつかえそうな低き冠木門の右には若い柳が少し芽をふきかけて居る。左には無花果がまだ裸で居る。その向うには牛小屋があるらしい。 遂に決断して亀戸天神へ行く事にきめた。秀真格堂の二人は歩行いて往た。突きあたって左へ折れると平岡工場がある。・・・ 正岡子規 「車上の春光」
・・・高い生垣を繞らして、冠木門が立ててある。それを這入ると、向うに煤けたような古家の玄関が見えているが、そこまで行く間が、左右を外囲よりずっと低いかなめ垣で為切った道になっていて、長方形の花崗石が飛び飛びに敷いてある。僕に背中を見せて歩いていた・・・ 森鴎外 「百物語」
出典:青空文庫