・・・苫一枚というのは凡そ畳一枚より少し大きいもの、贅沢にしますと尺長の苫は畳一枚のよりよほど長いのです。それを四枚、舟の表の間の屋根のように葺くのでありますから、まことに具合好く、長四畳の室の天井のように引いてしまえば、苫は十分に日も雨も防ぎま・・・ 幸田露伴 「幻談」
・・・仇十州の贋筆は凡そ二十階級ぐらいあるという談だが、して見れば二十度贋筆を買いさえすれば卒業して真筆が手に入るのだから、何の訳はないことだ。何だって月謝を出さなければ物事はおぼえられない。贋物贋筆を買うのは月謝を出すのだから、少しも不当の事で・・・ 幸田露伴 「骨董」
・・・火は昔から伝統のあるものらしく、水花火というものもあって、それは大社の池の真中で仕掛花火を行い、その花火が池面に映り、花火がもくもく池の底から涌いて出るように見える趣向になって居るのだそうであります。凡そ百種くらいの仕掛花火の名称が順序を追・・・ 太宰治 「老ハイデルベルヒ」
・・・ 八月には、僕は房総のほうの海岸で凡そ二月をすごした。九月のおわりまでいたのである。帰ってすぐその日のひるすぎ、僕は土産の鰈の干物を少しばかり持って青扇を訪れた。このように僕は、ただならぬ親睦を彼に感じ、力こぶをさえいれていたのであった・・・ 太宰治 「彼は昔の彼ならず」
・・・そしてこの果敢ない影を捕えんとしては幾度か墓のしきいに躓いているのではあるまいか。凡そ何がはかないと云っても、浮世の人の胸の奥底に潜んだまま長い長い年月を重ねて終にその人の冷たい亡骸と共に葬られてしまって、かつて光にふれずに消えてしまう希望・・・ 寺田寅彦 「凩」
・・・切の芸術をポルノグラフィイと見なすのも思えば無理もない次第である――議論が思わず岐路へそれた――妾宅の主人たる珍々先生はかくの如くに社会の輿論の極端にも厳格枯淡偏狭単一なるに反して、これはまた極端に、凡そ売色という一切の行動には何ともいえな・・・ 永井荷風 「妾宅」
・・・私は所定めず切貼した本堂の古障子が欄干の腐った廊下に添うて、凡そ幾十枚と知れず淋しげに立連った有様を今もってありありと眼に浮べる。何という不思議な縁であろう、本堂はその日の夜、私が追憶の散歩から帰ってつかれて眠った夢の中に、すっかり灰になっ・・・ 永井荷風 「伝通院」
・・・果物のうちで不恰好なものといったら凡そ其骨のような枳の如きものはあるまい。其枳の為に救われたということで最初から彼の普通でないことが示されて居るといってもいい。蘇生したけれど彼は満面に豌豆大の痘痕を止めた。鼻は其時から酷くつまってせいせいす・・・ 長塚節 「太十と其犬」
私は思いがけなく前から当地の教育会の御招待を受けました。凡そ一カ月前に御通知がありましたが、私は、その時になって見なければ、出られるか出られぬか分らぬために、直にお答をすることが出来ませんでした。しかし、御懇切の御招待です・・・ 夏目漱石 「教育と文芸」
・・・―― 今度は、三ヵ月は娑婆で暮したいな、と思うと、凡そ百日間は、彼には娑婆の風が吹いた。家の構えで、その家がどんな暮し向きであるかを知った。顔や、帯の締め工合で、そいつが何であるかを見て取った。 だが、あの不敵な少年は、全で解らなか・・・ 葉山嘉樹 「乳色の靄」
出典:青空文庫