・・・宿帳には下手糞な字で共産党員と書き、昨日出獄したばかりだからとわざと服装の言訳して、ベラベラとマルキシズムを喋ったが、十年入獄の苦労話の方はなお実感が籠り、父親は十年に感激して泣いて文子の婿にした。 所が、男は一年たたぬうちに再び投獄さ・・・ 織田作之助 「実感」
・・・という日を、まるで溺れるものが掴む藁のように、いや、刑務署にいる者が指折って数える出獄日のように、私は待っていた。 人にこのことを話すと、「八月二十日にいいことがあるというのか。ふーむ。八月二十日といえば勝札の抽籤の発表のある日じゃ・・・ 織田作之助 「終戦前後」
・・・のはじめも、父の葬儀のため市ヶ谷刑務所から仮出獄したわたしが再び刑務所に戻って、裸にされて青い着物を着たときの事情が、わかりにくくかかれている。同じこの理由から、前巻に収められている「突堤」のはじまりの文章も分りにくい。当時は、そういうこと・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第五巻)」
・・・わたしは五日間仮出獄して、葬式に列し、再び未決へもどった。二・二六があったのもこの年のことである。「乳房」は、ある労働者街の無産者托児所の生活を中心として、東交の職場が各車庫別のストライキに立っていたころの動揺、地区のオルグとして働いて・・・ 宮本百合子 「解説(『風知草』)」
・・・百合子は五日間仮出獄した。ふたたび市ヶ谷にかえり予審中、二・二六事件が起った。三月下旬、保釈となった。百合子は慶応病院に入院した。保釈の際、判事は二・二六による戒厳令下の事情によって百合子の公判が終了するまで顕治への面会通信は控えるようにと・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・ この時期に林房雄氏が出獄した。プロレタリア文学の仕事ではその誕生の時代から活動していた林氏は、出獄後、一つの大きい文壇的ァキウムとなって、内外の事情の錯綜と微妙な日常感情、作家的志望の感情にからんでよりどころを見失ったような状態にあっ・・・ 宮本百合子 「今日の文学の展望」
・・・の○○氏は保釈出獄しました由、大阪電話。 From Annette & Sylvie “Annette felt that, alone, she was incomplete; incomplete in mind・・・ 宮本百合子 「一九二五年より一九二七年一月まで」
・・・は、日本の野蛮な治安維持法が、リアリズム綴方、生活教育という今日では常識としてたれ一人疑わない方法を主張したような教員まで投獄した時代の記録であり、検事の調べぶりや、出獄してゆく仲間のあとにとりのこされたときの気持など、相当実感をもって描か・・・ 宮本百合子 「選評」
・・・一月三十日、父の急死によって葬儀のために仮出獄した。二月。二月二十六日事件を裁判所で知った。小使がつい、予審判事に戒厳令という言葉を言ったために。三月。下旬、予審終結。ひどく健康を害していたために市ヶ谷からじかに慶応大学病院に入・・・ 宮本百合子 「年譜」
・・・ハフは出獄して、カナダにい、心を入れ更えて家郷への音信を怠りません。彼が、虐待し、早死した妻との間に生れた娘のロザリーは、名づけの祖母を母と呼び、ロンドンで一緒に暮しております。 小さいロザリーは、三度の御飯も皆と一緒に食べるし、褓母や・・・ 宮本百合子 「「母の膝の上に」(紹介並短評)」
出典:青空文庫