・・・ではその金はどうしたかと言えば、前後の分別も何もなしにお松につぎこんでしまったのです。が、お松も半之丞に使わせていたばかりではありません。やはり「お」の字のお上の話によれば、元来この町の達磨茶屋の女は年々夷講の晩になると、客をとらずに内輪ば・・・ 芥川竜之介 「温泉だより」
・・・は前後の分別を失ったとみえ、枕もとの行灯をぶら下げたなり、茶の間から座敷を走りまわった。僕はその時座敷の畳に油じみのできたのを覚えている。それからまた夜中の庭に雪の積もっていたのを覚えている。 五 猫の魂「てつ」は源・・・ 芥川竜之介 「追憶」
・・・長い間にはまた何とか分別もつこうと云うものだから。」と、一時のがれの慰めを云いますと、お敏はようやく涙をおさめて、新蔵の膝を離れましたが、それでもまだ潤み声で、「それは長い間でしたら、どうにかならない事もございますまいが、明後日の夜はまた家・・・ 芥川竜之介 「妖婆」
・・・――あら、まあ、笛吹は分別で、チン、カラカラカラ、チン。わざと、チンカラカラカラと雀を鳴らして、これで出迎えた女中だちの目を逸らさせたほどなのであった。「いわば、お儀式用の宝ものといっていいね、時ならない食卓に乗ったって、何も気味の悪い・・・ 泉鏡花 「貝の穴に河童の居る事」
・・・ 思案をするじゃが、短気な方へ向くめえよ、後生だから一番方角を暗剣殺に取違えねえようにの、何とか分別をつけさっせえ。 幸福と親御の処へなりまた伯父御叔母御の処へなり、帰るような気になったら、私に辞儀も挨拶もいらねえからさっさと帰りね・・・ 泉鏡花 「葛飾砂子」
・・・かねて禁断であるものを、色に盲いて血気な徒が、分別を取はずし、夜中、御堂へ、村の娘を連込んだものがあった。隔ての帳も、簾もないのに―― ――それが、何と、明い月夜よ。明神様もけなりがッつろと、二十三夜の月待の夜話に、森へ下弦の月がかかる・・・ 泉鏡花 「神鷺之巻」
・・・思慮分別の意識からそうなるのではなく、自然的な極めて力強い余儀ないような感情に壓せられて勇気の振いおこる余地が無いのである。 宵から降り出した大雨は、夜一夜を降り通した。豪雨だ……そのすさまじき豪雨の音、そうしてあらゆる方面に落ち激つ水・・・ 伊藤左千夫 「水害雑録」
・・・弟を深田へ縁づけたということをたいへん見栄に思ってた嫂は、省作の無分別をひたすら口惜しがっている。「省作、お前あの家にいないということがあるもんか」 何べん繰り返したかしれない。頃は旧暦の二月、田舎では年中最も手すきな時だ。問題に趣・・・ 伊藤左千夫 「春の潮」
・・・ような無邪気な所もあり、大宮校長から掛って来た電話を聴いていると、嫉けるぜと言いながら寄って来てくすぐったり、好いたらしい男だと思っている内にある夜暗がりの応接間に連れ込まれてみると、子供っぽい石田が分別くさい校長とは較べものにならぬくらい・・・ 織田作之助 「世相」
・・・「兵古帯のくせに分別くさいこと言うな」「あんたは分別くさくなかったわね」「何やと……?」「分別があれば、あんな怪しい素姓の女に参ったりしないわね。何さ、そわそわ時計を見たりして……。」「怪しい……? 何が怪しい素姓だ……・・・ 織田作之助 「夜光虫」
出典:青空文庫