・・・その年の秋友子は男の子を産んだ。分娩の一瞬、豹一が今まで嫌悪してきたことが結局この一瞬のために美しく用意されていたのかと、何か救われるように思った。その日、産声が室に響くようなからりと晴れた小春日和だったが、翌日からしとしとと雨が降り続いた・・・ 織田作之助 「雨」
・・・ 四月二日朝、おせいは小石川のある産科院で死児を分娩した。それに立合った時の感想はここに書きたくない。やはり、どこまでも救われない自我的な自分であることだけが、痛感された。粗末なバラックの建物のまわりの、六七本の桜の若樹は、もはや八・・・ 葛西善蔵 「死児を産む」
・・・婦人には月々の生理週間と妊娠と分娩後の静養と哺乳との、男子にはない特殊事情がある。これは自然が婦人に課したる特殊負荷であって厳粛なものでありこれがある以上、決して、職業の問題について、男子と婦人とを同一に考えるべきものではない。この意味にお・・・ 倉田百三 「婦人と職業」
・・・が、赤ン坊の叫び声はなかった。分娩のすんだトシエは、細くなって、晴れやかに笑いながら、仰向に横たわっていた。ボロ切れと、脱脂綿に包まれた子供は、軟かく、細い、黒い髪がはえて、無気味につめたくなっていた。全然、泣きも、叫びもしなかった。「・・・ 黒島伝治 「浮動する地価」
・・・底のない墜落、無間奈落を知って居るか、加速度、加速度、流星と同じくらいのはやさで、落下しながらも、少年は背丈のび、暗黒の洞穴、どんどん落下しながら手さぐりの恋をして、落下の中途にて分娩、母乳、病い、老衰、いまわのきわの命、いっさい落下、死亡・・・ 太宰治 「創生記」
・・・ そのうちに一同が帰宅して留守中に起こった非常な事件に関する私からの報告を聞いているうちに、三毛はまた第二第三の分娩を始めた。私はもうすべての始末を妻に託して二階にあがった。机の前にすわってやっと落ち着いてみると、たださえ病に弱っている・・・ 寺田寅彦 「子猫」
・・・だが、それを実践したい心は溢れているとして、全体の人数の何割の若い職業婦人たちが、それぞれの勤め先で結婚と分娩とを公然の条件として認められているであろうか。共稼ぎの率は殖えている。でも、女にとって職業か家庭かという苦しい疑問を常に抱かせて来・・・ 宮本百合子 「異性の間の友情」
・・・女が子を持てなければ去るべし、といいながら、女の妊娠期間への注意、分娩や育児への忠言は与えず、「古の法にも女子を産ば三日床の下に臥さしむと云えり」という風である。 益軒の時代は、さっき触れたような商人擡頭の時代であって、歌舞、音曲、芝居・・・ 宮本百合子 「三つの「女大学」」
・・・――明日お医者のところへ行って診て貰ってね、今週のうちに貰えるでしょう――私の方がのこっちゃったわね――ニチェヴォー、直きよくなりますよ、 分娩までに二ヵ月、分娩後二ヵ月の休暇を〔約三字分空白〕留の援助金とともに貰うのだ。・・・ 宮本百合子 「無題(七)」
・・・――私死ぬんじゃないかしら……ほかの人はもうみんな分娩室へ行ったのに私一人こんなにして、あ、あ、あ……」 おかっぱの金色の髪がもしゃもしゃになって汗を掻いた額にくっついている。自分は困って、「安心してらっしゃいよ。ね。ここにいれば大・・・ 宮本百合子 「モスクワ日記から」
出典:青空文庫