・・・シベリアに居る者には、内地からの切手を貼った手紙を見るだけでもたのしみである。 一時間ばかり後、それを戦友に渡すと彼はアメリカ兵のように靴さきに気をつけながら、氷の丘を下って行った。「俺もひとつ、負傷してやるかな。」彼は心に呟いた。・・・ 黒島伝治 「氷河」
・・・お蕎麦屋の五円切手がはいっていた。ちょっとの間、僕には何も訳がわからなかった。五円の切手とは、莫迦げたことである。ふと、僕はいまわしい疑念にとらわれた。ひょっとすると敷金のつもりなのではあるまいか。そう考えたのである。それならこれはいますぐ・・・ 太宰治 「彼は昔の彼ならず」
・・・御返信ネガイタク、参銭切手、二枚。葉書、一枚。同封仕リ候。封書、葉書、御意ノ召スガママニ御染筆ネガイ上候。ナオマタ、切手、モシクハ葉書、御不用ノ際ハソノママ御返送ノホドオ願イ申上候。太宰治殿。清瀬次春。二伸。当地ハ成田山新勝寺オヨビ三里塚ノ・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・私は、まだこの土地には、なじみが薄いし、また、よしんば、なじみの深い土地でも、煙草、切手は、現金ばらいで無ければいけないものだろう。それかといって、友人知己からお金を借りて歩くことは、もうもう、いやだ。死んだほうがいい。借銭のつらさは、骨の・・・ 太宰治 「春の盗賊」
・・・三銭切手二枚か三枚貼った恐ろしく重い分厚の手紙を読んでみると、それには夏目先生の幼少な頃の追憶が実に詳しく事細かに書き連ねてあるのであった。それによると、S先生は子供の頃夏目先生の近所に住まっていていわゆるいたずら仲間であったらしく、その当・・・ 寺田寅彦 「埋もれた漱石伝記資料」
・・・マッチの貼紙や切手を集めあるいはボタンを集め、達磨を集め、甚だしきは蜜柑の皮を蒐集するがごとき、これらは必ずしも時代の新旧とは関係はないが、珍しいものを集めて自ら楽しみ人に誇るという点はやはり骨董趣味と共通である。 科学者の修得し研究す・・・ 寺田寅彦 「科学上の骨董趣味と温故知新」
・・・このような珍しい現象の記録をそれが消えない今のうちに収集しておくのは、切手やマッチのレッテルの収集よりは有意義であろうと思っていたが、近刊の板垣鷹穂氏著「芸術的現代の諸相」の中に、このような収集の一部が発表されているのを見てなるほどと思うの・・・ 寺田寅彦 「カメラをさげて」
・・・ひもにはりつけた赤い紙片の上にはってある切手の消印を読もうとして苦しんでいたが、消印はただ輪郭の円形がぼんやり見えるだけであった。「実に無責任だなあ」郵便局に対する不平を口の内でつぶやきながら、空虚な円の中から何かを見いだそうとして、ためつ・・・ 寺田寅彦 「球根」
・・・つり橋のたもとの煙草屋を見つけて絵はがきと切手を買う。三銭切手二十枚を七十五銭に売るから妙だと思って聞くと「コンミッシォン」だと言った。 九竜で見たと同じ道普請のローラーで花崗石のくずをならしている。その前を赤い腰巻きをしたインド人が赤・・・ 寺田寅彦 「旅日記から(明治四十二年)」
・・・一度これを忘れればすべての教育は蓄音機や活動写真で代用する事ができるようになると同時に、教育の効果はその場限りの知識の商品切手のようなものになる。生徒の生涯を貫ぬいてその魂を導き引き立てるような貴いありがたい影響はどこにもなくなるだろう。・・・ 寺田寅彦 「蓄音機」
出典:青空文庫