・・・が、再び敵打の旅に上るために、楓と当分――あるいは永久に別れなければならない事を思うと、自然求馬の心は勇まなかった。彼はその日彼女を相手に、いつもに似合わず爛酔した。そうして宿へ帰って来ると、すぐに夥しく血を吐いた。 求馬は翌日から枕に・・・ 芥川竜之介 「或敵打の話」
・・・餓えと寒さがひしひしと答え出してがたがた身をふるわしながら、挨拶一つせずにさっさと別れて歩き出した。 玉蜀黍殻といたどりの茎で囲いをした二間半四方ほどの小屋が、前のめりにかしいで、海月のような低い勾配の小山の半腹に立っていた。物の饐えた・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・ そこで、欄干を掻い擦った、この楽器に別れて、散策の畦を行く。 と蘆の中に池……というが、やがて十坪ばかりの窪地がある。汐が上げて来た時ばかり、水を湛えて、真水には干て了う。池の周囲はおどろおどろと蘆の葉が大童で、真中所、河童の皿に・・・ 泉鏡花 「海の使者」
・・・一村二十余戸八十歳以上の老齢者五人の中の年長者であるということを、せめてもの気休めとして、予の一族は永久に父に別れた。 姉も老いた、兄も老いた、予も四十五ではないか。老なる問題は他人の問題ではない、老は人生の終焉である。何人もまぬかるる・・・ 伊藤左千夫 「紅黄録」
・・・と、お袋の別れの言葉はまたこうであった。「無論ですとも」と答えたが、僕はあとで無論もくそもあったものかという反抗心が起った。そして、それでもなお実は、吉弥がその両親を見送りに行った帰りに、立ち寄るのが本当だろうと、外出もしないで待ってい・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・滅多に会わないでも永い別れとなると淋しい感がある。 殊に鴎外の如き一人で数人前の仕事をしてなお余りある精力を示した人豪は、一日でも長く生き延びさせるだけ学界の慶福であった。六十三という条、実はマダ還暦で、永眠する数日前までも頭脳は明晰で・・・ 内田魯庵 「鴎外博士の追憶」
・・・そして家へ帰る路すがら、自分もいつかお父さんや、お母さんに別れなければならぬ日があるのであろうと思いました。四 あいかわらず、その後も、町の方からは聞き慣れたよい音色が聞こえてきました。乳色の天の川が、ほのぼのと夢のように空・・・ 小川未明 「青い時計台」
・・・八 その翌朝、同宿の者が皆出払うのを待って、銭占屋は私に向って、「ねえ君、妙な縁でこうして君と心安くしたが、私あ今日向地へ渡ろうと思うからね、これでいよいよお別れだ。お互に命がありゃまた会わねえとも限らねえから、君もまあ・・・ 小栗風葉 「世間師」
・・・漆山文子という畳屋町から通っている子がいて、芸者の子らしく学校でも大きな藤の模様のついた浴衣を着て、ひけて帰ると白粉をつけ、紅もさしていましたが、奉公に行けば、もうその子の姿も見られなくなるという甘い別れの感傷も、かえって私の決心を固めさせ・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
・・・ 斯う云って、彼は張合い抜けのした気持で警官と別れて、それから細民窟附近を二三時間も歩き廻った。そしてよう/\恰好な家を見つけて、僅かばかしの手附金を置いて、晩に引越して来るということにして帰って来た。がやっぱし細君からの為替が来てなか・・・ 葛西善蔵 「子をつれて」
出典:青空文庫