・・・スバーは、自分が子供の時から友達であったもの達に別れを告げる為、牛小舎に入って行きました。彼女は自分で芻草をやりました。彼女は、牛達の頸にすがりつき、その顔をつくづくと眺めました。言葉に代って物を云う、両方の眼からこぼれる涙は止めようもあり・・・ 著:タゴールラビンドラナート 訳:宮本百合子 「唖娘スバー」
・・・ ――おそれいります。ほら、ハンケチ、あげるわよ。 ――ありがとう。借りて置きます。 ――すっかり、他人におなりなすったのねえ。 ――別れたら、他人だ。このハンケチ、やっぱり昔のままの、いや、犬のにおいがするね。 ――ま・・・ 太宰治 「愛と美について」
・・・と云って、別れそうにした。「どこへ行く。」「内へ帰る。書きものがある。」「書きもの。」旆騎兵中尉は、「気が違ったかい」と附け加えたかったのを、我慢して呑み込んだ。「うん。書きものだ。」こう云うとたんに、丁度美しい小娘がジュポ・・・ 著:ダビットヤーコプ・ユリウス 訳:森鴎外 「世界漫遊」
・・・ このかすかな伴奏の音が、別れた後の、未来に残る二人の想いの反響である。これが限りなく果敢なく、淋しい。「あかあかとつれない秋の日」が、野の果に沈んで行く。二人は、森のはずれに立って、云い合わせたように、遠い寺の塔に輝く最後の閃光を・・・ 寺田寅彦 「秋の歌」
・・・蒼白い月の下で、私は彼ら夫婦に別れた。白いこの海岸の町を、私はおそらくふたたび見舞うこともないであろう。 徳田秋声 「蒼白い月」
・・・―― 小学校を卒業してから、林は町の中学校へあがり、私は工場の小僧になったから、しぜんと別れてしまったが、林のなつかしい、あの私が茄子を折って叱られているとき――小母さん、すみません――と詫びてくれた、温かい心が四十二歳になってもまだ忘・・・ 徳永直 「こんにゃく売り」
・・・われわれが新橋の停車場を別れの場所、出発の場所として描写するのも、また僅々四、五年間の事であろう。 今では日吉町にプランタンが出来たし、尾張町の角にはカフェエ・ギンザが出来かかっている。また若い文学者間には有名なメイゾン・コオノスが小網・・・ 永井荷風 「銀座」
・・・彼等は其夜其まま別れて畢えばまだまだ事は惹き起されなかったのである。彼は家に帰れば直ちにそれを発見したのである。彼は忘れて出たのである。其夜彼等が会合したのは全く悪戯のためであった。悪戯は更に彼等の仲間にも行われざるを得なかった。「そり・・・ 長塚節 「太十と其犬」
・・・疑える中には、今更ながら別れの惜まるる心地さえほのめいている。「行く」といい放って、つかつかと戸口にかかる幕を半ば掲げたが、やがてするりと踵を回らして、女の前に、白き手を執りて、発熱かと怪しまるるほどのあつき唇を、冷やかに柔らかき甲の上・・・ 夏目漱石 「薤露行」
・・・余は別れに臨んで君の送られたその児の終焉記を行李の底に収めて帰った。一夜眠られぬままに取り出して詳かに読んだ、読み終って、人心の誠はかくまでも同じきものかとつくづく感じた。誰か人心に定法なしという、同じ盤上に、同じ球を、同じ方向に突けば、同・・・ 西田幾多郎 「我が子の死」
出典:青空文庫