・・・ オオビュルナン先生は最後に書いた原稿紙三枚を読み返して見て、あちこちに訂正を加え、ある詞やある句を筆太に塗沫した。先生の書いているのは、新脚本では無い。自家の全集の序である。これは少々難物だ。 余計な謙遜はしたくない。骨を折って自・・・ 著:プレヴォーマルセル 訳:森鴎外 「田舎」
・・・むしろかかる紀行の中へかかる世俗的な目的をも加えしかも充分に成功したる楽天の手腕には驚かざるを得ない。〔中村楽天著『徒歩旅行』俳書堂 明治35・7・9刊〕 正岡子規 「徒歩旅行を読む」
・・・ みんなは毎日その石で畳んだ鼠いろの床に座って古くからの聖歌を諳誦したり兆よりももっと大きな数まで数えたりまた数を互に加えたり掛け合せたりするのでした。それからいちばんおしまいには鳥や木や石やいろいろのことを習うのでした。 アラムハ・・・ 宮沢賢治 「学者アラムハラドの見た着物」
・・・そして、当時のプロレタリヤ文学運動の解釈に加えられた歪曲が正される必要がある。 十二年をへだて、今日著者がたまに書く文学評論は、主題と表現の問題にしろよりリアルにとらえられていて、人民的な民主主義社会とその文学の達成のために、堅ろうな階・・・ 宮本百合子 「巖の花」
・・・日ごとにその繰り言を長くし、日ごとに新たな証拠を加え、いよいよ熱心に弁解しますます厳粛な誓いを立てるようになった。誓いの文句などは人のいない時十分考えて用意しているのである。今やかれの心は全く糸の話で充たされてしまった。かれの弁解がいよいよ・・・ 著:モーパッサン ギ・ド 訳:国木田独歩 「糸くず」
・・・ 長十郎が忠利の足を戴いて願ったように、平生恩顧を受けていた家臣のうちで、これと前後して思い思いに殉死の願いをして許されたものが、長十郎を加えて十八人あった。いずれも忠利の深く信頼していた侍どもである。だから忠利の心では、この人々を・・・ 森鴎外 「阿部一族」
・・・ はや下ななつさがりだろう、日は函根の山の端に近寄ッて儀式とおり茜色の光線を吐き始めると末野はすこしずつ薄樺の隈を加えて、遠山も、毒でも飲んだかだんだんと紫になり、原の果てには夕暮の蒸発気がしきりに逃水をこしらえている。ころは秋。そここ・・・ 山田美妙 「武蔵野」
・・・が、彼が戦えば戦うほど、彼が医者を変えれば変えるほど、医者の死の宣告は事実と一緒に明克の度を加えた。彼は萎れてしまった。彼は疲れてしまった。彼は手を放したまま呆然たる蔵のように、虚無の中へ坐り込んだ。そうして、今は、二人は二人を引き裂く死の・・・ 横光利一 「花園の思想」
・・・それは紅色としては感じられないが、しかし白色に適度の柔らかみ、暖かみを加えているのであろう。われわれが白い蓮の花を思い浮かべるとき、そこに出てくるのはこういう白色の花弁であって、真に純白の花弁なのではあるまい。そう私は感ぜざるを得なかった。・・・ 和辻哲郎 「巨椋池の蓮」
出典:青空文庫