・・・ジャンに、お前は不幸になんかならないでやってゆけるのだぞ、と励まし、その方向を示してやる者がいなかったことの方が寧ろ本質の不運である。 自分を常に不幸な子供という役のまわりあわせにおいてばかり見るジャン自身の気持からも、どうして不幸が招・・・ 宮本百合子 「ジャンの物語」
・・・てが、この数年来経つつある酸苦と犠牲とを、新しい歴史の展開の前夜に起った大なる破産として理解し、同時にそれは生き抜くに価する苦難として照し出してゆく力こそ、悲劇においてなお高貴であり、人間らしい慰めと励ましとにみちている文学精神の本質ではな・・・ 宮本百合子 「新日本文学の端緒」
・・・……さあ、それでは出かけて、もう一まわり、独特な鼓舞で励ましておやり。仕事は辛い。なかなか容易には捗取らない。そこへ、お前が、耀の翼で触ってやると、人間は、五月の樫が朝露に会ったように、活々と若く、甦るのです。イオイナ ――・・・ 宮本百合子 「対話」
・・・その伝説的に高貴であった先生が、私の今日まで育って来た個性の傾向を知って、励まして下さった歓びは、恐らく私の一生を通じてその光輝を失う事は無いだろう。 此の感謝は、上の学校へ行ってから、同じような純粋な愛で、私の行く道に力強い暗示を与え・・・ 宮本百合子 「追慕」
・・・良人や息子を獄中に送った女の人々のよい相談あいてであるばかりでなく励ましてであった。子供のうちから体で働いて生きながら、そのような人生の中に美しいもの、愛くるしいもの、素朴で、うそのない親愛なものの存在するのが、働く人々の宝であることを感じ・・・ 宮本百合子 「壺井栄作品集『暦』解説」
・・・そういう真個に情のあふれた落着いて勇ましい励ましの歌が欲しいわねえ」 好子は、型紙のつくりかたをやっているところで、ハトロン紙の隅で計算をしては物指で作図をしている。テーブルの上へ拡げた紙へ胸ごとのしかかる姿勢で好子はおだやかに云った・・・ 宮本百合子 「二人いるとき」
・・・それでも自分で自分を励まして、金部屋へ引き返して、何より先に金箱の錠前を改めた。なんの異状もない。「先ず好かった」と思った時、眩暈が強く起こったので、左の手で夜具葛籠を引き寄せて、それに靠り掛かった。そして深い緩い息を衝いていた。 ・・・ 森鴎外 「護持院原の敵討」
・・・と言って励まして歩かせようとする。二人の中で、姉娘は足を引きずるようにして歩いているが、それでも気が勝っていて、疲れたのを母や弟に知らせまいとして、折り折り思い出したように弾力のある歩きつきをして見せる。近い道を物詣りにでも歩くのなら、ふさ・・・ 森鴎外 「山椒大夫」
・・・婦人の甲斐なさ、それよ忠義の志ばかりでおじゃるわ』とこの眼から張り切りょうずる涙を押えて……おおおれは今泣いてはいぬぞ、忍藻……おれも武士の妻あだに夫を励まし、聟を急いたぞ。そを和女、忍藻も見ておじゃったろうぞのう。武士の妻のこころばえはか・・・ 山田美妙 「武蔵野」
・・・この悲哀にしみじみと心を浸して、ともに泣き互いに励まし合うのは、私にとっては最も人間的な気のする事です。私はこういう人に対していかなる場合にも高慢である事はできません。特にその才能の乏しいのを嘲うような態度は、恐ろしい冷酷として、むしろ憎む・・・ 和辻哲郎 「ある思想家の手紙」
出典:青空文庫