・・・これは、仇討の真似事を致すほど、義に勇みやすい江戸の事と申し、且はかねがね御一同の御憤りもある事と申し、さような輩を斬ってすてるものが出ないとも、限りませんな。」 伝右衛門は、他人事とは思われないような容子で、昂然とこう云い放った。この・・・ 芥川竜之介 「或日の大石内蔵助」
・・・清八は得たりと勇みをなしつつ、圜揚げ(圜トハ鳥ノ肝ヲ云の小刀を隻手に引抜き、重玄を刺さんと飛びかかりしに、上様には柳瀬、何をすると御意あり。清八はこの御意をも恐れず、御鷹の獲物はかかり次第、圜を揚げねばなりませぬと、なおも重玄を刺さんとせし・・・ 芥川竜之介 「三右衛門の罪」
・・・ 人ごみの処をおしもおされもせず、これも夫婦の深切と、嬉しいにつけて気が勇みますので、臆面もなく別の待合へ入りましたが、誰も居りません、あすこはまた一倍立派でございますね、西洋の緞子みたような綾で張詰めました、腰をかけますとふわりと沈ん・・・ 泉鏡花 「政談十二社」
・・・われは勇みてこの行に上るべし。望みは遠し、されど光のごとく明るし。熱血、身うちに躍る、これわが健康の徴ならずや。みな君が賜なり。』 青年の眼は輝きて、その頬には血のぼりぬ。『されば必ず永久の別れちょう言葉を口にしたもうなかれ。永久の・・・ 国木田独歩 「わかれ」
・・・さてはいよいよこれなりけりと心勇みて、疾く嚮導すべき人を得んと先ず観音堂を索むるに、見渡す限りそれかと覚しきものも見えねばいささか心惑う折から、寒月子は岨道を遥かに上り行きて、ここに堂あり堂ありと叫ぶ。嬉しやと己も走り上りて其処に至れば、眼・・・ 幸田露伴 「知々夫紀行」
・・・駄馬にも篠の鞭、という格で、少しは心に勇みを添えられる。勿論未熟者という意味のボク釣師と自ら言ったのは謙遜的で、内心に下手釣師と自ら信じている釣客はないのであるし、自分もこの二日ばかりは不結果だったが、今日は好い結果を得たいと念じていたので・・・ 幸田露伴 「蘆声」
・・・ 王子は大よろこびで、お金入れへお金をどっさり入れて、それから、よく切れるりっぱな剣をつるすが早いか、お供もつれないで、大勇みに勇んで出かけました。 二 王子は遠い遠い長い道をどんどん急いでいきました。 ・・・ 鈴木三重吉 「ぶくぶく長々火の目小僧」
・・・庭の桐の木から落ちたササキリが其長い髭を徐ろに動かしてるのを見て、赤は独で勇み出して庭のうちに輪を描いて駈け歩いた。そうしては足で一寸ササキリを引っ返して其髭の動くのを見て又ばらばらと駈け歩いたことがある。壻の文造と畑へ出ることもあった。秋・・・ 長塚節 「太十と其犬」
・・・殊に荷物を皆持って上れという命令があったので多分放免になるのであろうと勇みに勇んで上陸した。湯に入って(自分は拭折詰の御馳走を喰うて、珍しく畳の上に寐て待って居ると午後三時頃に万歳万歳、という声が家を揺かして響いた。これは放免になった歓びの・・・ 正岡子規 「病」
・・・この時、疾翔大力は、上よりこれをながめられあまりのことにしばしは途方にくれなされたが、日ごろの恩を報ずるは、ただこの時と勇みたち、つかれた羽をうちのばし、はるか遠くの林まで、親子の食をたずねたげな。一念天に届いたか、ある大林のその中に、名さ・・・ 宮沢賢治 「二十六夜」
出典:青空文庫