・・・――この二つの動機が一つになった時、彼の手は自ら、その煙管を、河内山の前へさし出した。「おお、とらす。持ってまいれ。」「有難うございまする。」 宗俊は、金無垢の煙管をうけとると、恭しく押頂いて、そこそこ、また西王母の襖の向うへ、・・・ 芥川竜之介 「煙管」
・・・ とにかく己はそう云ういろいろな動機で、とうとう袈裟と関係した。と云うよりも袈裟を辱めた。そうして今、己の最初に出した疑問へ立ち戻ると、――いや、己が袈裟を愛しているかどうかなどと云う事は、いくら己自身に対してでも、今更改めて問う必要は・・・ 芥川竜之介 「袈裟と盛遠」
・・・真個の第四階級から発しない思想もしくは動機によって成就された改造運動は、当初の目的以外の所に行って停止するほかはないだろう。それと同じように、現在の思想家や学者の所説に刺戟された一つの運動が起こったとしても、そしてその運動を起こす人がみずか・・・ 有島武郎 「宣言一つ」
・・・相矛盾せる両傾向の不思議なる五年間の共棲を我々に理解させるために、そこに論者が自分勝手に一つの動機を捏造していることである。すなわち、その共棲がまったく両者共通の怨敵たるオオソリテイ――国家というものに対抗するために政略的に行われた結婚であ・・・ 石川啄木 「時代閉塞の現状」
・・・ 僕も、これが動機となって、いくらかきまりが悪くなったのに加えて、自分の愛する者が年の若い娘にいじめられるところなどへ行きたくなくなった。また、お貞が、僕の顔さえ見れば、吉弥の悪口をつくのは、あんな下司な女を僕があげこそすれ、まさか、関・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・十一 画人椿岳椿岳の画才及び習画の動機 椿岳の実家たる川越の内田家には芸術の血が流れていたと見えて、椿岳の生家にもその本家にも画人があったそうだ。椿岳も児供の時から画才があって、十二、三歳の頃に描いた襖画が今でも川越の家・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・彼に、こうした興味を呼び起した動機は、偶然、野原かどこかで、小さな美しい草ぜみの死骸を見出したことからです。「お父さん、ごらんなさい。こんな小さいせみがありますよ」 と、示されたのを見た時に、自分も、おどろいたのでした。この年齢・・・ 小川未明 「近頃感じたこと」
・・・何の主義によらず唱えらるゝに至った動機、世間が之を認めたまでには、痛切な根柢と時勢に対する悲壮な反抗と思想上の苦闘があったことを知らなければならぬ。だから、批評家が一朝机上の感想で、之を破壊することは不可能であるし、また無理だと思う。 ・・・ 小川未明 「若き姿の文芸」
・・・が、この記録を一篇の小説にたとえるとすれば、そのヤマは彼女が石田の料亭の住込仲居になる動機と径路ではなかろうか、――彼女は石田の所へ雇われる前、名古屋の「寿」という料亭の仲居をしていた。その時中京商業の大宮校長と知り合った、大宮校長は検事の・・・ 織田作之助 「世相」
・・・その口答試問の席上で、志願の動機や家庭の情況を問われた時、「姉妹二人の暮しでしたが……。」 と言いながら、道子は不覚にも涙を落し、「あ、こんなに取り乱したりして、きっと口答試問ではねられてしまうわ。」 と心配したが、それから・・・ 織田作之助 「旅への誘い」
出典:青空文庫