・・・ あちらに勤める様になってからまだ一度もつづけて暇をもらった事がないので快く許してもらえた事を話し肩に掛けて来たカバンの中から肉のかんづめやら西瓜糖やらを出し、果物のかなり大きい籠まで持って来た。 お節は一言云っては涙をこぼして居た・・・ 宮本百合子 「栄蔵の死」
・・・細川忠利は、初めは只なんとなく彌一右衛門の云うことをすらりときけない心持で暮していたのだが、後には、彌一右衛門が意地で落度なく勤めるのを知って憎悪を感じるようになって来た。しかし、聰明な忠利は、憎いとは思いながら、何故彌一右衛門がそうなった・・・ 宮本百合子 「鴎外・芥川・菊池の歴史小説」
・・・ そう、じゃ私も母さんにいって勤めるようにしちゃうわ。そんな会話が、あるいは上級生の間にあるだろう。遠足か何かにゆくように、ねえ母さん、誰さんも、誰さんも、ゆくのよ、いいでしょう? ねえ。そういわれた母親たちは、それじゃあまア、すこし勤めて・・・ 宮本百合子 「働く婦人の新しい年」
・・・ 図書館に勤めるようになった一人の若い作家志望の女が、その一見知識的らしい職業が、内実は無味乾燥で全く機械的な資本主義社会の経営事務であることを経験し、そこの官僚的運転の中で数多い若い男女の人間が血の気を失い、精神の弾力を失ってゆくのを・・・ 宮本百合子 「見落されている急所」
・・・忠利は初めなんとも思わずに、ただこの男の顔を見ると、反対したくなったのだが、のちにはこの男の意地で勤めるのを知って憎いと思った。憎いと思いながら、聡明な忠利はなぜ弥一右衛門がそうなったかと回想してみて、それは自分がしむけたのだということに気・・・ 森鴎外 「阿部一族」
・・・ 花房が大学にいる頃も、官立病院に勤めるようになってからも、休日に帰って来ると、先ずこの三畳で煎茶を飲ませられる。当時八犬伝に読み耽っていた花房は、これをお父うさんの「三茶の礼」と名づけていた。 翁が特に愛していた、蝦蟇出という朱泥・・・ 森鴎外 「カズイスチカ」
・・・御用を勤める時の支度で、木綿中形の単物に黒繻子の帯を締めていたのである。奥の口でりよは旅支度の文吉と顔を見合せた。そして親の病気が口実だと云うことを悟った。 りよと一しょに奥を下がった傍輩が二三人、物珍らしげに廊下に集まって、りよが宿の・・・ 森鴎外 「護持院原の敵討」
・・・ 同心を勤める人にも、いろいろの性質があるから、この時ただうるさいと思って、耳をおおいたく思う冷淡な同心があるかと思えば、またしみじみと人の哀れを身に引き受けて、役がらゆえ気色には見せぬながら、無言のうちにひそかに胸を痛める同心もあった・・・ 森鴎外 「高瀬舟」
・・・ 一 町なかの公園に道化方の出て勤める小屋があって、そこに妙な男がいた。名をツァウォツキイと云った。ツァウォツキイはえらい喧嘩坊で、誰をでも相手に喧嘩をする。人を打つ。どうかすると小刀で衝く。窃盗をする。詐偽をする。・・・ 著:モルナールフェレンツ 訳:森鴎外 「破落戸の昇天」
・・・彼女がある役を勤める時には意志の力によって自己をその女に同化してしまう。彼女の感情はその女の感情と同一である。悲しむべき時には泣くまねをするというのではなく、真に感情が動き、真実なる表情となるのである。劇場的身ぶり、誇大したる表情は彼女に見・・・ 和辻哲郎 「エレオノラ・デュウゼ」
出典:青空文庫