・・・「だって死骸を水葬する時には帆布か何かに包むだけだろう?」「だからそれへこの札をつけてさ。――ほれ、ここに釘が打ってある。これはもとは十字架の形をしていたんだな。」 僕等はもうその時には別荘らしい篠垣や松林の間を歩いていた。木札・・・ 芥川竜之介 「蜃気楼」
・・・ニパー湾の水は、照り続く八月の熱で煮え立って、総ての濁った複色の彩は影を潜め、モネーの画に見る様な、強烈な単色ばかりが、海と空と船と人とを、めまぐるしい迄にあざやかに染めて、其の総てを真夏の光が、押し包む様に射して居る。丁度昼弁当時で太陽は・・・ 有島武郎 「かんかん虫」
・・・足くびの時なぞは、一応は職業行儀に心得て、太脛から曲げて引上げるのに、すんなりと衣服の褄を巻いて包むが、療治をするうちには双方の気のたるみから、踵を摺下って褄が波のようにはらりと落ちると、包ましい膝のあたりから、白い踵が、空にふらふらとなり・・・ 泉鏡花 「怨霊借用」
・・・ しのびで、裏町の軒へ寄ると、破屋を包む霧寒く、松韻颯々として、白衣の巫女が口ずさんだ。「ほのぼのと……」 太守は門口を衝と引いた。「これよ。」「ははッ。」「巫女に謝儀をとらせい。……あの輩の教化は、士分にまで及ぶであろうか・・・ 泉鏡花 「神鷺之巻」
・・・ 真俯向けに行く重い風の中を、背後からスッと軽く襲って、裾、頭をどッと可恐いものが引包むと思うと、ハッとひき息になる時、さっと抜けて、目の前へ真白な大な輪の影が顕れます。とくるくると廻るのです。廻りながら輪を巻いて、巻き巻き巻込めると見・・・ 泉鏡花 「雪霊記事」
・・・ 雪の時は――見馴れぬ花の、それとは違って、天地を包む雪であるから、もしこれに恐れたとなると、雀のためには、大地震以上の天変である。東京のは早く消えるから可いものの、五日十日積るのにはどうするだろう。半歳雪に埋もるる国もある。 或時・・・ 泉鏡花 「二、三羽――十二、三羽」
・・・「余所のは米の粉を練ってそれを程よく笹に包むのだけれど、是は米を直ぐに笹に包んで蒸すのだから、笹をとるとこんな風に、東京のお萩と云ったようだよ」「ウム面白いな、こりゃうまい。粽という名からして僕は好きなのだ、食って美味いと云うより、・・・ 伊藤左千夫 「浜菊」
・・・抑え難き憂愁を包む身の、洗う蚕籠には念も入らず、幾度も立っては田圃の遠くを眺めるのである。ここから南の方へ十町ばかり、広い田圃の中に小島のような森がある、そこが省作の村である。木立の隙間から倉の白壁がちらちら見える、それが省作の家である。・・・ 伊藤左千夫 「春の潮」
・・・ども水面は油のごとく、笛を吹く者あり、歌う者あり、三味線の音につれて笑いどよめく声は水に臨める青楼より起こるなど、いかにも楽しそうな花やかなありさまであったことで、しかし同時にこの花やかな一幅の画図を包むところの、寂寥たる月色山影水光を忘る・・・ 国木田独歩 「少年の悲哀」
・・・箱根足柄の上を包むと見えし雲は黄金色にそまりぬ。小坪の浦に帰る漁船の、風落ちて陸近ければにや、帆を下ろし漕ぎゆくもあり。 がらす砕け失せし鏡の、額縁めきたるを拾いて、これを焼くは惜しき心地すという児の丸顔、色黒けれど愛らし。されどそはか・・・ 国木田独歩 「たき火」
出典:青空文庫