・・・見ずや、きみ、やかなの鋭き匕首をもって、骨を削り、肉を裂いて、人性の機微を剔き、十七文字で、大自然の深奥を衝こうという意気込の、先輩ならびに友人に対して済まぬ。憚り多い処から、「俳」を「杯」に改めた。が、一盞献ずるほどの、余裕も働きもないか・・・ 泉鏡花 「燈明之巻」
・・・――これだけは工夫した女優の所作で、手には白金が匕首のごとく輝いて、凄艶比類なき風情であった。 さてその鸚鵡を空に翳した。 紫玉のみはった瞳には、確に天際の僻辺に、美女の掌に似た、白山は、白く清く映ったのである。 毛筋ほどの雲も・・・ 泉鏡花 「伯爵の釵」
・・・早瀬 実は柏家の奥座敷で、胸に匕首を刺されるような、御意見を被った。小芳さんも、蒼くなって涙を流して、とりなしてくんなすったが、たとい泣いても縋っても、こがれ死をしても構わん、おれの命令だ、とおっしゃってな、二の句は続かん、小芳さんも、・・・ 泉鏡花 「湯島の境内」
・・・しかし、柔らかい蹠の、鞘のなかに隠された、鉤のように曲った、匕首のように鋭い爪! これがこの動物の活力であり、智慧であり、精霊であり、一切であることを私は信じて疑わないのである。 ある日私は奇妙な夢を見た。 X――という女の人の私室・・・ 梶井基次郎 「愛撫」
・・・ 突然匕首のような悲しみが彼に触れた。次から次へ愛するものを失っていった母の、ときどきするとぼけたような表情を思い浮かべると、彼は静かに泣きはじめた。 夕餉をしたために階下へ下りる頃は、彼の心はもはや冷静に帰っていた。そこへ友達の折・・・ 梶井基次郎 「冬の日」
・・・今ニ見ヨ、ナド匕首ノゾカセタル態ノケチナ仇討チ精進、馬鹿、投ゲ捨テヨ。島崎藤村。島木健作。出稼人根性ヤメヨ。袋カツイデ見事ニ帰郷。被告タル酷烈ノ自意識ダマスナ。ワレコソ苦悩者。刺青カクシタ聖僧。オ辞儀サセタイ校長サン。「話」編輯長。勝チタイ・・・ 太宰治 「創生記」
・・・ 恐愕の悪寒が、激怒の緊張に変った。匕首が彼の懐で蛇のように鎌首を擡げた。が、彼の姿は、すっかり眠りほうけているように見えた。 制服、私服の警官隊が四人、前後からドカドカッと入って来た。便所の扉を開いた。洗面所を覗いた。が、そこ・・・ 葉山嘉樹 「乳色の靄」
・・・悪党どもなら匕首を振った後に仲直りするような場合にも、愛する者同志は、ただ一瞥一語のためにも仲をたがえ取り返すべからざるに至る。こうした心情生活が、殆ど完璧の域にあったことの記憶の中に説明のつきかねることの往々ある離別の秘密がひそんでいるの・・・ 宮本百合子 「バルザックについてのノート」
・・・ 二人とも何やら浮かぬ顔色で今までの談話が途切れたような体であッたが、しばらくして老女はきッと思いついた体で傍の匕首を手に取り上げ、「忍藻、和女の物思いも道理じゃが……この母とていとう心にはかかるが……さりとて、こやそのように、忍藻・・・ 山田美妙 「武蔵野」
・・・暗中匕首を探ぐってぐっと横腹を突くように、栖方は腰のズボンの時計を素早く計る手つきを示して梶に云った。「しかし、それなら発表するでしょう。」「そりゃ、しませんよ。すぐ敵に分ってしまう。」「それにしても――」 二人はまた黙って・・・ 横光利一 「微笑」
出典:青空文庫