・・・ 十一 風邪をひいて軽い咳が止まらないようなとき昔流の振り出し薬を飲むと存外よくきく事がある。草根木皮の成分はまだ充分には研究されていないのだから、医者の知らない妙薬が数々はいっているかもしれない、またいないかも・・・ 寺田寅彦 「藤棚の陰から」
・・・ 十一 排日案に対して、フィルムや、化粧や、耳かくしのボイコットが問題になっている。 ところが先頃ゴビの沙漠の砂の中から地質時代の大きな爬虫のディノソーラスの卵を発見した米国の学者達は、今度はまた中部アジ・・・ 寺田寅彦 「鑢屑」
・・・ 明後日が初酉の十一月八日、今年はやや温暖かく小袖を三枚重襲るほどにもないが、夜が深けてはさすがに初冬の寒気が身に浸みる。 少時前報ッたのは、角海老の大時計の十二時である。京町には素見客の影も跡を絶ち、角町には夜を警めの鉄棒の音も聞・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
・・・十一 第三に指摘してくれられた人は向軍治君である。これは新人と云う雑誌に出ている。第一部の劇場にての前戯に、道化方がアイン・ブラアウェル・クナアベのいるのは劇場の利方だと云っている。この確りした男は役者である。それを作者と誤・・・ 森鴎外 「不苦心談」
・・・十一 一週間の後、小さな藁小屋が掘割の傍に建てられた。そこは秋三の家に属している空地であった。 その日最早や安次は自由に歩くことも出来なくなっていた。彼は勘次の家の小屋から戸板に吊られて新しい小屋まで運ばれた。 勘次・・・ 横光利一 「南北」
・・・ 十一 その翌朝早くから彼の妻の母が来た。彼女は娘の顔を見ると泣き始めた。「君坊、どうした。まア、痩せて。もっと早く来ようと思ったんだけど、いろいろ用事があって。」 彼の妻はいつものような冷淡な顔をして、・・・ 横光利一 「花園の思想」
出典:青空文庫