・・・干潟を鳴きつれて飛ぶ千鳥の声のみ聞こえてかなたこなた、ものさびしく、その姿見えずとみれば、夕闇に白きものはそれなり。あわただしく飛びゆくは鴫、かの葦間よりや立ちけん。 この時、一人の童たちまち叫びていいけるは、見よや、見よや、伊豆の山の・・・ 国木田独歩 「たき火」
・・・もよく合点しやがて本文通りなまじ同伴あるを邪魔と思うころは紛れもない下心、いらざるところへ勇気が出て敵は川添いの裏二階もう掌のうちと単騎馳せ向いたるがさて行義よくては成りがたいがこの辺の辻占淡路島通う千鳥の幾夜となく音ずるるにあなたのお手は・・・ 斎藤緑雨 「かくれんぼ」
千鳥の話は馬喰の娘のお長で始まる。小春の日の夕方、蒼ざめたお長は軒下へ蓆を敷いてしょんぼりと坐っている。干し列べた平茎には、もはや糸筋ほどの日影もささぬ。洋服で丘を上ってきたのは自分である。お長は例の泣きだしそうな目もとで・・・ 鈴木三重吉 「千鳥」
・・・丘には橄欖が深緑りの葉を暖かき日に洗われて、その葉裏には百千鳥をかくす。庭には黄な花、赤い花、紫の花、紅の花――凡ての春の花が、凡ての色を尽くして、咲きては乱れ、乱れては散り、散りては咲いて、冬知らぬ空を誰に向って誇る。 暖かき草の上に・・・ 夏目漱石 「幻影の盾」
・・・「追ッつけられりゃ、誰だッて追ッつけたいのさ。私なんざそれが出来ないんだから、実に苦労でしようがないよ。お正月なんざ、本統に来なくッてもいいもんだね」「千鳥さんはそんなことを言ッたッて、蠣殻町のあの人がどうでもしておくれだから、何も・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
・・・ いつでも千鳥の曲はいいと思ってます。「随分精しいんですねえ。 私琴は弾けないんですよ、 ただ三味線はすきですきくだけですけど、 尺八のいい悪いなんかはわかるほど年を取って居ませんしねえ。「いつでもね肇君の姉さんがそ・・・ 宮本百合子 「千世子(三)」
・・・御まきさんのうしろに中振袖の絽の着物に厚板の白茶の帯を千鳥にむすんで唐人まげのあたまにつまみ細工の花ぐしを一っぱいさしてまっしろな御化粧に紅までさした御ムスメがだまって私のかわった不ぞうさのあたまを一生懸命に見て居た。その目つきと口元を見て・・・ 宮本百合子 「つぼみ」
・・・夜になったら座に行って会おうこんな事をたのしみにして夕飯をしまうとすぐ髪を結いなおして縮緬しぼりの長い袖の着物に白い博多を千鳥にむすんで祖母をひっぱって出かけた。 私は幕のあくたんびに御妙ちゃんの出るのがまち遠しくてまち遠しくて自分の目・・・ 宮本百合子 「ひな勇はん」
出典:青空文庫