一、佐藤春夫は詩人なり、何よりも先に詩人なり。或は誰よりも先にと云えるかも知れず。 二、されば作品の特色もその詩的なる点にあり。詩を求めずして佐藤の作品を読むものは、猶南瓜を食わんとして蒟蒻を買うが如し。到底満足を得る・・・ 芥川竜之介 「佐藤春夫氏の事」
・・・二人は喰い終ってから幾度も固唾を飲んだが火種のない所では南瓜を煮る事も出来なかった。赤坊は泣きづかれに疲れてほっぽり出されたままに何時の間にか寝入っていた。 居鎮まって見ると隙間もる風は刃のように鋭く切り込んで来ていた。二人は申合せたよ・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・ 年倍なる兀頭は、紐のついた大な蝦蟇口を突込んだ、布袋腹に、褌のあからさまな前はだけで、土地で売る雪を切った氷を、手拭にくるんで南瓜かぶりに、頤を締めて、やっぱり洋傘、この大爺が殿で。「あらッ、水がある……」 と一人の女が金切声・・・ 泉鏡花 「瓜の涙」
・・・ 麓では、二人の漁夫が、横に寝た大魚をそのまま棄てて、一人は麦藁帽を取忘れ、一人の向顱巻が南瓜かぶりとなって、棒ばかり、影もぼんやりして、畝に暗く沈んだのである。――仔細は、魚が重くて上らない。魔ものが圧えるかと、丸太で空を切ってみた。・・・ 泉鏡花 「貝の穴に河童の居る事」
・・・西手な畑には、とうもろこしの穂が立ち並びつつ、実がかさなり合ってついている、南瓜の蔓が畑の外まではい出し、とうもろこしにもはいついて花がさかんに咲いてる。三角形に畝をなした、十六角豆の手も高く、長い長いさやが千筋に垂れさがっている。家におっ・・・ 伊藤左千夫 「紅黄録」
・・・見ると兼公の家も気持がよかった、軒の下は今掃いた許りに塵一つ見えない、家は柱も敷居も怪しくかしげては居るけれど、表手も裏も障子を明放して、畳の上を風が滑ってるように涼しい、表手の往来から、裏庭の茄子や南瓜の花も見え、鶏頭鳳仙花天竺牡丹の花な・・・ 伊藤左千夫 「姪子」
・・・ 田舎の人達は、どんなにして働いたか、西瓜を作り、南瓜を作り、茄子を作り、芋を作るのに、どんなに汗水を滴らして働いたか。 また、林檎を栽培し、蜜柑、梨子、柿を完全に成熟さして、それを摘むまでに、どれ程の労力を費したか。彼等は、この辛・・・ 小川未明 「街を行くまゝに感ず」
・・・畑とも庭ともつかない地面には、梅の老木があったり南瓜が植えてあったり紫蘇があったりした。城の崖からは太い逞しい喬木や古い椿が緑の衝立を作っていて、井戸はその蔭に坐っていた。 大きな井桁、堂々とした石の組み様、がっしりしていて立派であった・・・ 梶井基次郎 「城のある町にて」
十日 動物教室の窓の下を通ると今洗ったらしい色々の骸骨がばらばらに笊へ入れて干してある。秋の蠅が二、三羽止ってやや寒そうに羽根を動かしている。 十一日 垣にぶら下がっていた南瓜がいつの間にか垂れ落ちて水引の花へ尻をすえ・・・ 寺田寅彦 「窮理日記」
・・・ どつしりと尻を据えたる南瓜かなと云う句も其頃作ったようだ。同じく瓜と云う字のつく所を以て見ると南瓜も糸瓜も親類の間柄だろう。親類付合のある南瓜の句を糸瓜仏に奉納するのに別段の不思議もない筈だ。そこで序ながら此句も霊前に献上する事・・・ 夏目漱石 「『吾輩は猫である』中篇自序」
出典:青空文庫