・・・梵鐘をもって大砲を鋳たのも、危急の際にはやむをえないことかもしれない。しかし泰平の時代に好んで、愛すべき過去の美術品を破壊する必要がどこにあろう。ましてその目的は、芸術的価値において卑しかるべき区々たる小銅像の建設にあるのではないか。自分は・・・ 芥川竜之介 「松江印象記」
・・・ と渠はますます慌てて、この危急に処すべき手段を失えり。得たりやと、波と風とはますます暴れて、この艀をば弄ばんと企てたり。 乗合は悲鳴して打騒ぎぬ。八人の船子は効無き櫓柄に縋りて、「南無金毘羅大権現!」と同音に念ずる時、胴の間の辺に・・・ 泉鏡花 「取舵」
・・・柱鳴り瓦飛び壁落つる危急の場にのぞみて二人一室に安座せんとは。われこれを思いし時、心の冷え渡るごとき恐ろしきある者を感じぬ、貴嬢はただこの二人ただ自殺を謀りしとのみのたもうか、げに二郎と十蔵とは自殺を謀りしなるべきか。あらず、いかで自殺なる・・・ 国木田独歩 「おとずれ」
・・・ 日蓮はこの危急に際しても自若としていた。彼の法華経のための殉教の気魄は最高潮に達していた。「幸なる哉、法華経のために身を捨てんことよ。臭き頭をはなたれば、沙に金を振替へ、石に玉をあきなへるが如し。」 彼は刑場におもむく前、鎌倉・・・ 倉田百三 「学生と先哲」
・・・しかしそういう場合であっても、もしも入場していた市民がそのような危急の場合に対する充分な知識と訓練を持ち合わせていて、そうしてかねてから訓練を積んだ責任ある指揮者の指揮に従って合理的統整的行動を取ることができれば、たとえ二万人三万人の群集が・・・ 寺田寅彦 「火事教育」
・・・ 左れば当時積弱の幕府に勝算なきは我輩も勝氏とともにこれを知るといえども、士風維持の一方より論ずるときは、国家存亡の危急に迫りて勝算の有無は言うべき限りにあらず。いわんや必勝を算して敗し、必敗を期して勝つの事例も少なからざるにおいてをや・・・ 福沢諭吉 「瘠我慢の説」
・・・「彼等は国家の危急に赴こうとしている」、と。ゴンクール自身は、政治として、この包囲を見ており、それを失敗として見ている。だが、民衆は、祖国の防衛として肉体をもってそれを感じ、そこに身を挺している。彼等灰色の人々に光栄あれ。 フランスの知・・・ 宮本百合子 「折たく柴」
・・・ こういう危急の時に、爪先も濡らさず岸に立って、諸君、まず、橋を作る材木を出し給え。マァ、何の彼のいわず、材木だけは、ともかく僕にわたし給え。いずれ橋はかけてやると、筋の通った将来の計画も誠意もなしに演説している者を、誰が対手にするでし・・・ 宮本百合子 「幸福のために」
・・・幾人かのひとは、著者がフランスの危急についてそれだけ知っていたのに、何の積極な働きも試みなかったこと、そして今になってそれを喋々する態度を批判している。その批評は幾人かの人々が知識人として今日の社会に対している良心のあらわれであるのだけれど・・・ 宮本百合子 「今日の作家と読者」
・・・正直な人々は、伝統的な感情にしたがって、国家が危急に瀕しているとき、まだとやかくいっている非国民! 理窟があるならまず協力して勝ってからいうべきであるという心持だった。これは、勤労動員された女学生たちの稚い心にさえ何かのニュアンスで生きてい・・・ 宮本百合子 「平和への荷役」
出典:青空文庫