・・・実際的とか、有益とかいう観念からして、もはや厳しい真理から逸れたものだからだ。 恋愛を一種の熱病と見て、解熱剤を用意して臨むことを教え、もしくは造化の神のいたずらと見てユーモラスに取り扱うという態度も、私の素質には不釣り合いのことであろ・・・ 倉田百三 「学生と生活」
・・・ 源信僧都の母は、僧都がまだ年若い修業中、経を宮中に講じ、賞与の布帛を賜ったので、その名誉を母に伝えて喜ばそうと、使に持たせて当麻の里の母の許に遣わしたところ、母はそのまま押し返して、厳しい、諫めの手紙を与えた。「山に登らせたまひし・・・ 倉田百三 「女性の諸問題」
・・・ 女は上機嫌になると、とかくに下らない不必要なことを饒舌り出して、それが自分の才能ででもあるような顔をするものだが、この細君は夫の厳しい教育を受けてか、その性分からか、幸にそういうことは無い人であった。純粋な感謝の念の籠ったおじぎを一つ・・・ 幸田露伴 「鵞鳥」
・・・悍しい、峻しい、冷たい、氷の欠片のような厳しい光の眼であった。しかし美しいことは美しい、――悪の美しさの眼であった。「にッたり」と男は笑った。曇った鏡が人を映すように男は鈍々と主人を見上げた。年はまだ三十前、肥り肉の薄皮だち、血色は・・・ 幸田露伴 「雪たたき」
・・・古い城址の周囲だけに、二人が添うて行く石垣の上の桑畠も往昔は厳しい屋敷のあったという跡だ。鉄道のために種々に変えられた、砂や石の盛り上った地勢が二人の眼にあった。 馬に乗った医者が二人に挨拶して通った。土地に残った旧士族の一人だ。 ・・・ 島崎藤村 「岩石の間」
・・・お三輪が娘時分に朝寝の枕もとへ来て、一声で床を離れなかったら、さっさと蒲団を片付けてしまわれるほど厳しい育て方をされたのも母だ。そういう母が同じ浦和生れの父を助けて小竹の店を持つ前に、しばらく日本橋石町の御隠居さんの家に勤めていた頃は、朝も・・・ 島崎藤村 「食堂」
・・・私は厳しい保守的な家に育った。借銭は、最悪の罪であった。借銭から、のがれようとして、更に大きい借銭を作った。あの薬品の中毒をも、借銭の慚愧を消すために、もっともっと、と自ら強くした。薬屋への支払いは、増大する一方である。私は白昼の銀座をめそ・・・ 太宰治 「東京八景」
・・・ いったい志賀直哉というひとの作品は、厳しいとか、何とか言われているようだが、それは嘘で、アマイ家庭生活、主人公の柄でもなく甘ったれた我儘、要するに、その容易で、楽しそうな生活が魅力になっているらしい。成金に過ぎないようだけれども、とに・・・ 太宰治 「如是我聞」
・・・ここで有名な Routh の下に厳しい数学的訓練を受けた事が、後年の彼のために非常に有益であったことは彼自身も認めている。その頃彼はよく長椅子に凭れてぼんやりしていることがあった。友人には、面白い作り話を考えているんだと云ったが、実は数学の・・・ 寺田寅彦 「レーリー卿(Lord Rayleigh)」
・・・田崎が事の次第を聞付けて父に密告したので、お悦は可哀そうに、馬鹿をするにも程があるとて、厳しいお小言を頂戴した始末。私の乳母は母上と相談して、当らず触らず、出入りの魚屋「いろは」から犬を貰って飼い、猶時々は油揚をば、崖の熊笹の中へ捨てて置い・・・ 永井荷風 「狐」
出典:青空文庫