・・・ひとたび相愛して結合し、終生離れず終わりを全うする美しさに及ぶものはないのである。離合を重ねるたびに人間の、ことに女性の霊魂は薫染せざるを得ないからである。如何にハリウッドの女優のような知性と生活技法、経済的基礎とをもってしても、離合のたび・・・ 倉田百三 「人生における離合について」
・・・ その時、プロレタリア文学のことに話が及ぶと、T君は、いまどきプロレタリア文学などといったら、馬鹿か、気ちがいだと思われるよと笑い出してしまった。すくなくとも肚の底では考えていても、口に出していうものはないとのことである。 常に労働・・・ 黒島伝治 「田舎から東京を見る」
・・・家を出ずる時は甲斐に越えんと思いしものを口惜とはおもいながら、尊の雄々しくましませしには及ぶべくもあらねば、雁坂を過ぎんことは思い断えつ、さればとて大日向の太陽寺へ廻らん心も起さず、ひた走りに走り下りて大宮に午餉す。ふたたび郷平橋を渡りつつ・・・ 幸田露伴 「知々夫紀行」
・・・弗函の代表者顔へ紙幣貼った旦那殿はこれを癪気と見て紙に包んで帰り際に残しおかれた涎の結晶ありがたくもないとすぐから取って俊雄の歓迎費俊雄は十分あまえ込んで言うなり次第の倶浮れ四十八の所分も授かり融通の及ぶ限り借りて借りて皆持ち寄りそのころか・・・ 斎藤緑雨 「かくれんぼ」
・・・氷柱は二尺、三尺に及ぶ。お島が炉辺へ行って子供に牛乳をくれようとすると、時にはそれが淡い緑色に凍って、子供に飲ませることも出来ない。台処の流許に流れる水は皆な凍りついた。貯えた野菜までも多く凍った。水汲に行く下女なぞは頭巾を冠り、手袋をはめ・・・ 島崎藤村 「岩石の間」
・・・満天星ばかりではない、梅の素生は濃い緑色に延びて、早や一尺に及ぶのもある。ちいさくなって蹲踞んで居るのは躑躅だが、でもがつがつ震えるような様子はすこしも見えない。あの椿の樹を御覧と「冬」が私に言った。日を受けて光る冬の緑葉には言うに言われぬ・・・ 島崎藤村 「三人の訪問者」
・・・私は不器用で、何か積極的な言動に及ぶと、必ず、無益に人を傷つける。友人の間では、私の名前は、「熊の手」ということになっている。いたわり撫でるつもりで、ひっ掻いている。塚本虎二氏の、「内村鑑三の思い出」を読んでいたら、その中に、「或夏、信・・・ 太宰治 「作家の像」
・・・けれども、とりかかるまえに、これは何故に今さららしくとりかかる値打ちがあるのか、それを四方八方から眺めて、まあ、まあ、ことごとしくとりかかるにも及ぶまいということに落ちついて、結局、何もしない」「それほどの心情をお持ちになりながら、なん・・・ 太宰治 「ダス・ゲマイネ」
・・・それに学問というものを一切していないのが、最も及ぶべからざる処である。うぶで、無邪気で、何事に逢っても挫折しない元気を持っている。物に拘泥しない、思索ということをしない、純血な人間に出来るだけの受用をする。いつも何か事あれかしと、居合腰をし・・・ 著:ダビットヤーコプ・ユリウス 訳:森鴎外 「世界漫遊」
・・・ただ一種の小動物だけでも、その影響の及ぶところははかり知られぬ無辺の幅員をもっているであろう。その害の一端のみを見てただちにそのものの無用を論ずるのは、あまりにあさはかな量見であるかもしれない。 蠅がばいきんをまきちらす、そうしてわれわ・・・ 寺田寅彦 「蛆の効用」
出典:青空文庫