・・・陽がかげる頃に彼れは居酒屋を出て反物屋によって華手なモスリンの端切れを買った。またビールの小瓶を三本と油糟とを馬車に積んだ。倶知安からK村に通う国道はマッカリヌプリの山裾の椴松帯の間を縫っていた。彼れは馬力の上に安座をかいて瓶から口うつしに・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・昨日おいでになって、東京へいっている息子の春着を造ってやるのだと、反物を買ってお帰りになりました。」と、おかみさんは、告げました。 真吉は、これをきくと、安心して、いままで、張りつめた気持ちがなくなりました。そして、お母さんの、真心から・・・ 小川未明 「真吉とお母さん」
・・・彼は二年間の貯蓄の三分の二を平気で擲って、錦絵を買い、反物を買い、母や弟や、親戚の女子供を喜ばすべく、欣々然として新橋を立出った。 翌年、三十一年にめでたく学校を卒業し、電気部の技手として横浜の会社に給料十二円で雇われた。 その後今・・・ 国木田独歩 「非凡なる凡人」
・・・…… 正月二日の初売出しに、お里は、十円握って、村の呉服屋へ反物を買いに行った。子供達は母の帰りを待っていたが、まもなく友達がさそいに来たので、遊びに行ってしまった。清吉は床に就いて寝ていた。 十時過ぎにお里が帰って来た。「一寸・・・ 黒島伝治 「窃む女」
・・・黄金色にみのった稲穂の真中を、そこだけは、真直に、枯色の反物を引っぱったようになっていた。秋からは、その沿線附近一帯をも、あまり儲けにならない麦を蒔かずに、荒れるがまゝに放って置く者もあった。 冬の始めになった。又、巻尺と、赤と白のペン・・・ 黒島伝治 「浮動する地価」
・・・と園子は紙に包んだ反物をばあさんの前に投げ出した。「へえエ。」思いがけなしで、何かと、ばあさんは不審そうに嫁の顔を見上げた。「そんな田舎縞を着ずに、こしらえてあげた着物を着なされ。」と、嫁より少しおくれて二階へ行きながら清三が云った・・・ 黒島伝治 「老夫婦」
・・・「この部屋には、ね、店の品物が、たくさん積みこまれて、僕たちは、その反物で山をこさえたり、谷をこさえたりして、それに登って遊んだものです。ここは、こんなに日当りがいいでしょう? だもんだから、母は、ちょうどあなたのお坐りになっていらっし・・・ 太宰治 「新樹の言葉」
・・・二人の下女もそれぞれ反物をもらって喜んでいました。親子が贈物を取りかわし「ムッター」「ヘレーネ」とお互いに接吻するのはちょっと不思議に思われました。主婦がピアノの前にすわって、みんなでワイナハトの歌をうたいました。雪のふるのがほんとうだそう・・・ 寺田寅彦 「先生への通信」
・・・こういう物に対する好尚と知識のきわめて少ない自分は、反物や帯地やえりの所を長い時間引き回されるのはかなりに迷惑である。そしてこれほどまでに呉服というものが人間に必要なものかと思って、驚き怪しんだ事も一度や二度ではない。「東京の人は衣服を食っ・・・ 寺田寅彦 「丸善と三越」
・・・道太は何だかいっぱい入っている乱れ函の上にある、二捲の反物に目をつけた。「これ? 何だかこんなもの置いていったんですけれど。何というお品や」お絹は起きあがってその反物を持ちだしながら、「わたし一反だけ羽織にしようかと思って。やがて大阪へ・・・ 徳田秋声 「挿話」
出典:青空文庫