・・・それがそこで下車する数人を降ろして、しかして二十人三十人を新たに収容しなければならない事になる。どうしても乗れなくて乗りそこねた数人の不幸な人たちは、三十秒も待った後に、あとから来た車の座席にゆっくり腰をかけて、たとえば暑さの日ならば、明け・・・ 寺田寅彦 「電車の混雑について」
・・・ 中年学校、老年学校を設置して中年、老年の生徒を収容し、その教授、助教授には最も現代的な模範的ボーイやガールを任命するのも一案である。 子供を教育するばかりが親の義務でなくて、子供に教育されることもまた親の義務かもしれないのである。・・・ 寺田寅彦 「猫の穴掘り」
・・・そのうちで、戦闘員だったものは千五百万人、最低その三倍の非戦闘員が、空襲とナチスやファシストの強制収容所、地下の抗戦運動で殺害されている。日本の軍部は、太平洋戦争で百八十五万人を死なせた。全国には百八十万人の未亡人が飢餓線に生きている。千円・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第八巻)」
・・・捕虜として各地でキャンプ生活をしながら生産労働に従ってきたひとびとの見聞は、その特別な事情から受ける制約があって、いた場所によって、収容所長の性格によって、まちまちな経験がされている。同時に日本の大衆が人民的な民主主義の道を歩きはじめて、中・・・ 宮本百合子 「あとがき(『モスクワ印象記』)」
・・・幼児のための設備拡大率 収容人員 一九二八年 一九三三年 増大率 幼稚園 一〇七 二一七 一〇二・二パーセント 子供の遊び場 二〇三 五〇五 一四九・三パーセント・・・ 宮本百合子 「五ヵ年計画とソヴェト同盟の文化的飛躍」
・・・前年五月中旬検挙された百合子は、十月下旬治安維持法によって起訴され、市ヶ谷刑務所未決に収容された。一九三六年一月三十日、父中條精一郎が死去した。百合子は五日間仮出獄した。ふたたび市ヶ谷にかえり予審中、二・二六事件が起った。三月下旬、保釈とな・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・いま公判がひらかれている吉村隊長が、外蒙の日本人捕虜収容所のボスとして行った残虐と背徳行為が社会問題化したのは、「暁に祈る」という怪奇なテーマをもつ記録文学がいくとおりか発表され、輿論の注目をひいたためであった。現地の軍当局の信じられないほ・・・ 宮本百合子 「ことの真実」
・・・「劇場の建物が古く、少人数しか収容せず、従って経営費の負担=切符が一人あて高くなる。勘定して見よう、では五人家内の勤労者の家庭が一晩の観劇にいくらいるか。職業組合ソヴェト劇場へゆくとしよう。九十二・五カペイキ 切符代二十カペイ・・・ 宮本百合子 「三月八日は女の日だ」
・・・コンクリートの二階建て、産院は細民カードに登録された家庭の婦人をお産の前後二週間四十人収容できるものなのだそうだ。 そして、一緒に建つ姙婦健康相談所で、プロレタリア婦人の避姙の相談にものり、産院で子を生ませてもらっても、とうてい育てられ・・・ 宮本百合子 「「市の無料産院」と「身の上相談」」
・・・あのように厳しく、そこから逃げ出せば法律で以て罰せられ、牢屋にまで送られた徴用の勤め先が軍部への思惑だけで、収容力もないほどどっさり徴用工の頭数だけを揃えていることや、そのために宿舎、食糧、勤労そのものさえ、まともに運営されて行かず、日々が・・・ 宮本百合子 「青年の生きる道」
出典:青空文庫