一 私は死刑に処せらるべく、今東京監獄の一室に拘禁せられて居る。 嗚呼死刑! 世に在る人々に取っては、是れ程忌わしく恐ろしい言葉はあるまい、いくら新聞では見、物の本では読んで居ても、まさかに自分が此忌わ・・・ 幸徳秋水 「死生」
・・・ 年を取って指先きが顫えるらしく、それにかじかんでいるので、うまく鍵穴に鍵が入らずガチャガチャとそのまわりをつッついた。向い合いながら、俺はその前こゞみになっている看守の肩を見ていた。 その日の出廷はもう一人いた。小柄な瘠せた男で、・・・ 小林多喜二 「独房」
・・・を認めあれはと問えば今が若手の売出し秋子とあるをさりげなく肚にたたみすぐその翌晩月の出際に隅の武蔵野から名も因縁づくの秋子をまねけば小春もよしお夏もよし秋子も同じくよしあしの何はともあれおちかづきと気取って見せた盃が毒の器たんとはいけぬ俊雄・・・ 斎藤緑雨 「かくれんぼ」
・・・片隅へ身を寄せて、上り框のところへ手をつき乍ら、何か低い声で物を言出した時は、自分は直にその男の用事を看て取った。聞いて見ると越後の方から出て来たもので、都にある親戚をたよりに尋ねて行くという。はるばるの長旅、ここまでは辿り着いたが、途中で・・・ 島崎藤村 「朝飯」
・・・私に取ってはそれが神の力でも信仰の力でもなくして、実に自分の知識の力である。もしみずから僣して聡明ということを許されるなら、聡明なからである。仮に現在普通の道徳を私が何らかの点で踏み破るとする。私にはその後のことが気づかわれてならない。それ・・・ 島村抱月 「序に代えて人生観上の自然主義を論ず」
・・・どの家でも何かくれると、それを受け取って、所々に穴の開いている、大きな籠の中へ入れる。物を貰うたびに、婆あさんはきっと何か面白げな事をいう。そうすると物を遣った人も声を出して笑うのである。婆あさんは老人が家の前に立ち留まって、どうしようかと・・・ 著:シュミットボンウィルヘルム 訳:森鴎外 「鴉」
・・・そうすると、まるで、じぶんの寸法を取ってこしらえたように、きっちり合いました。それから、馬に乗って、あぶみへ両足をかけて見ますと、それもちゃんと、じぶんの脚の長さに合っています。 ウイリイは、そのまま世の中に出て、運だめしをして来たくな・・・ 鈴木三重吉 「黄金鳥」
・・・それをわたしは取ってあの人に可哀がられる種にしている。お前さんが持っていては、なんの役にも立たないのだわ。幾らお前さんが鬱金香が好きだって、いろんな人を迷わせるような癖を持っていたって、とうとう誰もお前さんと一しょにはならないでしょう。とう・・・ 著:ストリンドベリアウグスト 訳:森鴎外 「一人舞台」
・・・おまけにここには、子どもたちがうっかりすると取ってしかられる、毒のある黒木いちごがはえていました。むすめは情けなさそうにそれを見ました。まだこの子は毒とはなんのことだか知りませんでしたから。 なお歩いて行きますと、木の間から何か白いもの・・・ 著:ストリンドベリアウグスト 訳:有島武郎 「真夏の夢」
・・・彼女があやし、叱り、機嫌などを取ってやると、喋る大人がしてやるより、遙か素直にききわけます。 スバーは小舎に入って来ると、サーツバシの首を抱きました。又、二匹の友達に頬ずりをします。パングリは、大きい親切そうな眼を向けて、スバーの顔をな・・・ 著:タゴールラビンドラナート 訳:宮本百合子 「唖娘スバー」
出典:青空文庫