・・・何しろ横浜のメリケン波戸場の事だから、些か恰好の異った人間たちが、沢山、気取ってブラついていた。私はその時、私がどんな階級に属しているか、民平――これは私の仇名なんだが――それは失礼じゃないか、などと云うことはすっかり忘れて歩いていた。・・・ 葉山嘉樹 「淫賣婦」
・・・馬鹿奴。取って売るつもりか。売るにしても誰に売る。この宝は持っていて、かつえて死ぬより外無いのだ。」「馬鹿げているじゃないか。小さく切らせればいい。そんな為事を知ったものがあるのだ。おれならそう云う奴をどうにかして捜し出す。もしおめえの・・・ 著:ブウテフレデリック 訳:森鴎外 「橋の下」
・・・故に他の一方について高きものを低くせんとするの工風は随分難き事なれども、これを行うて失策なかるべきが故に、この一編の文においては、かの男子の高き頭を取って押さえて低くし、自然に男女両性の釣合をして程好き中を得せしめんとの腹案を以て筆を立て、・・・ 福沢諭吉 「日本男子論」
・・・そうじゃなくて、自分の頭に、当時の日本の青年男女の傾向をぼんやりと抽象的に有っていて、それを具体化して行くには、どういう風の形を取ったらよかろうか。といろいろ工夫をする場合に、誰か余所で会った人とか、自分の予て知ってる者とかの中で、稍々自分・・・ 二葉亭四迷 「予が半生の懺悔」
・・・では気取ったようで厭でございます。「愛する友よ」とか、「愛するピエエルよ」とか申すのでしょうか。どうもそんなのがちょうどよろしいかと存ぜられます。ですけど、頭からそう申す事は、余り不躾なようで出来かねます。だんだん書いてまいりますうちに、そ・・・ 著:プレヴォーマルセル 訳:森鴎外 「田舎」
・・・棚引いている白雲は、上の方に黄金色の縁を取って、その影は灰色に見えている。昔の画家が聖母を乗せる雲をあんな風にえがいたものだ。山の裾には雲の青い影が印せられている。山の影は広い谷間に充ちて、広野の草木の緑に灰色を帯びさせている。山の頂の夕焼・・・ 著:ホーフマンスタールフーゴー・フォン 訳:森鴎外 「痴人と死と」
・・・饅頭、焼豆腐を取ってわざわざこれを三十一文字に綴る者、曙覧の安心ありて始めてこれあるべし。あら面白の饅頭、焼豆腐や。 安心の人に誇張あるべからず、平和の詩に虚飾あるべからず。余は更に進んで曙覧に一点の誇張、虚飾なきことを証せん。似而非文・・・ 正岡子規 「曙覧の歌」
・・・そこで何だか今まで頭をぶっつけた低い天井裏が無くなったような気もするけれどもまた支柱をみんな取ってしまった桜の木のような気もする。今日の実習にはそれをやった。去年の九月古い競馬場のまわりから掘って来て植えておいたのだ。今ごろ支柱を取るのはま・・・ 宮沢賢治 「或る農学生の日誌」
・・・桃太郎が桃から生れて、犬、猿、キジをひきつれて鬼という架空的存在を征服して、宝物をひとりで取って平気でいるのでは、ものにならない。 桃太郎は貧乏な小作人の子で、鬼は悪地主だ。三人の仲間を中心として悪地主をやっつけて、村の農民みんなのため・・・ 宮本百合子 「新たなプロレタリア文学」
・・・ 木村は課長がまだ腰を掛けないうちに、赤札の附いた書類を持って行って、少し隔たった処に立って、課長のゆっくり書類を portefeuille から出して、硯箱の蓋を取って、墨を磨るのを見ている。墨を磨ってしまって、偶然のようにこっちへ向・・・ 森鴎外 「あそび」
出典:青空文庫