・・・自分の心の醜さと、肉体の貧しさと、それから、地主の家に生れて労せずして様々の権利を取得していることへの気おくれが、それらに就いての過度の顧慮が、この男の自我を、散々に殴打し、足蹶にした。それは全く、奇妙に歪曲した。このあいそのつきた自分の泡・・・ 太宰治 「花燭」
・・・でも、あたしの取柄は、アンマ上下、それだけじゃないんですよ。それだけじゃ、心細いわねえ。もっと、いいとこもあるんです」 素直に思っていることを、そのまま言ってみたら、それは私の耳にも、とっても爽やかに響いて、この二、三年、私が、こんなに・・・ 太宰治 「女生徒」
・・・頭はわるし、文章は下手、学問は無し、すべてに無器用、熊の手さながら、おまけに醜貌、たった一つの取り柄は、からだの丈夫なところだけであった。 案外、長生きするのではないか。 こんな、ばかばなしをしていたのでは、きりがない。何かひと・・・ 太宰治 「答案落第」
・・・私は、何一つ取柄のない男であるが、文学だけは、好きである。三度の飯よりも、というのは、私にとって、あながち比喩ではない。事実、私は、いい作品ならば三度の飯を一度にしても、それに読みふけり、敢て苦痛を感じない。私は、そんな馬鹿である。そう自分・・・ 太宰治 「春の盗賊」
・・・もともと醜い私が、こんな腐った肌になってしまって、もうもう私は、取り柄がない。屑だ。はきだめだ。もう、こうなっては、あの人だって、私を慰める言葉が無いでしょう。慰められるなんて、いやだ。こんなからだを、まだいたわるならば、私は、あの人を軽蔑・・・ 太宰治 「皮膚と心」
・・・ただ、唇の両端が怜悧そうに上へめくれあがって、眼の黒く大きいのが取り柄である。姿態について、家人に問うと、「十六では、あれで大きいほうではないでしょうか。」と答えた。また、身なりについては、「いつでも、小ざっぱりしているようじゃございません・・・ 太宰治 「めくら草紙」
・・・あらはないが何の取り柄もない論文は百あっても学問は進まないであろう。 学位というものは決してやり惜しみをするような勿体ないものでも何んでもないのであってただ関係学科に多少でも貢献するような仕事をなにか一つだけはした人間だという証明書をや・・・ 寺田寅彦 「学位について」
・・・ 間違いだらけで恐ろしく有益な本もあれば、どこも間違いがなくてそうしてただ間違っていないというだけの事以外になんの取り柄もないと思われる本もある。これほど立派な材料をこれほど豊富に寄せ集めて、そうしてよくもこれほどまでにおもしろくなくつ・・・ 寺田寅彦 「読書の今昔」
・・・とか「何も取柄のない女だ」などと平気でそんな毒口をきくような良人との間に、どうして純粋な清い愛があったといえましょう。こういう複雑な問題は、単にああなったことを、いいとか悪いとかというたような、世間並な批評は通用しないでしょう。夫人がこうい・・・ 宮本百合子 「行く可き処に行き着いたのです」
出典:青空文庫