・・・素朴な抒情味などは、完くこの田舎者から出ているのです。 序にもう一つ制限を加えましょうか。それは久米が田舎者でも唯の田舎者ではないと云う事です。尤もこれはじゃ何だと云われると少し困りますが、まあ久米の田舎者の中には、道楽者の素質が多分に・・・ 芥川竜之介 「久米正雄氏の事」
一 根本的用意とは何か 一概に文章といっても、その目的を異にするところから、幾多の種類を数えることが出来る。実用のための文書、書簡、報道記事等も文章であれば、自己の満足を主とする紀行文、抒情叙景文、論文等も文章である。 こゝ・・・ 小川未明 「文章を作る人々の根本用意」
・・・ これまで、日本の文学は、俳句的な写実と、短歌的な抒情より一歩も出なかった。つまりは、もののあわれだ。「ファビアン」や「ユリシーズ」はもののあわれではない。もののあわれへのノスタルジアや、いわゆる心境小説としての私小説へのノスタルジアに・・・ 織田作之助 「土足のままの文学」
・・・然し、ここには近代青年の『失われたる青春に関する一片の抒情、吾々の実在環境の亡霊に関する、自己証明』があります。然し、ぼくは薄暗く、荒れ果てた広い草原です。ここかしこ日は照ってはいましょう。緑色に生々と、が、なかには菁々たる雑草が、乱雑に生・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・* ゴットフリード・ケラーとはどんな人かと思って小宮君に聞いてみると、この人はスイスチューリヒの生れで、描写の細かい、しかし抒情的気分に富んだ写実小説家だそうである。 哲学者の仕事に対する彼の態度は想像するに難くない。ロックやヒュー・・・ 寺田寅彦 「アインシュタイン」
・・・ 叙事と抒情とによって文学の部門を分けるのは、そういう形式的な立場からは妥当で便利な分類法であるが、ここで代表されているような特殊な立場から見れば、こういう区別はたいした意味を持たなくなる。 最も抒情的なものと考えられる詩歌の類で、・・・ 寺田寅彦 「科学と文学」
・・・ょうが、例えば雪なら雪をいろいろの角度からいろいろの距離で眺めたものも面白くないことはありませんが、しかし私どもにはそういうのよりも、むしろ、表面上何の関係もないような多種の影像が連立していて、叙景や抒情が入り乱れ、時々思いがけもないような・・・ 寺田寅彦 「書簡(2[#「2」はローマ数字2、1-13-22])」
・・・ あらゆる文学の中でも最も著しく個々の能知者たる作者が所知者たる対象の中に没入して現われて来るのは詩歌ことに抒情的なそれである。そこには能知者がいっぱいに滲透して所知者の間のあらゆる科学的背理や矛盾は、それによって統一され融和される。そ・・・ 寺田寅彦 「文学の中の科学的要素」
・・・質実な美感の深さ、そこにある抒情性のゆたかさというようなものは、人間の心にたたえられる情感のうちでも高いものの一つである。 あの人たちは、今これ迄とはちがって一体にしずんだ色や線のなかにとけこんでしまったが、そうやって一応もとの自分を消・・・ 宮本百合子 「新しい美をつくる心」
・・・おのずからなる抒情的でメロディアスな筆致は、わたしの作品の全系列の中にあっても類の少い位置をこの作品に与えている。 風知草は、絵画で云えば、一篇のクロッキーであると云ってさしつかえない。クロッキーはデッサンではない。クロッキーにおいて細・・・ 宮本百合子 「解説(『風知草』)」
出典:青空文庫