・・・容易に打ち壊されない自信が、その叫び声とともにむくむく首を擡げて来るのではありませんか。すでにその域に達している方も多数のうちにはあるかも知れませんが、もし途中で霧か靄のために懊悩していられる方があるならば、どんな犠牲を払っても、ああここだ・・・ 夏目漱石 「私の個人主義」
・・・ プラットフォームは、混乱した。叫び声、殴る響、蹴る音が、仄暗いプラットフォームの上に拡げられた。 彼は、懐の匕首から未だ手を離さなかった。そして、両方の巡査に注意しながらも、フォームを見た。 改札口でなしに、小荷物口の方に向っ・・・ 葉山嘉樹 「乳色の靄」
・・・僕はこの時はもう両手をひろげ叫び声をあげて気象台を通った。やっぱり二人とも出ていたねえ、子供は高い処なもんだからもうぶるぶる顫えて手すりにとりついているんだ。雨も幾つぶか落ちたよ。そんなにこわそうにしながらまた斯う云っているんだ。『これ・・・ 宮沢賢治 「風野又三郎」
・・・ 町の灯は、暗の中をまるで海の底のお宮のけしきのようにともり、子供らの歌う声や口笛、きれぎれの叫び声もかすかに聞えて来るのでした。風が遠くで鳴り、丘の草もしずかにそよぎ、ジョバンニの汗でぬれたシャツもつめたく冷されました。ジョバンニは町・・・ 宮沢賢治 「銀河鉄道の夜」
・・・さりながら、結局は、叫び声以外わからない。カント博士と同様に全く不可知なのである。 さて豚はずんずん肥り、なんべんも寝たり起きたりした。フランドン農学校の畜産学の先生は、毎日来ては鋭い眼で、じっとその生体量を、計算しては帰って行った。・・・ 宮沢賢治 「フランドン農学校の豚」
・・・途端、けたたましい叫び声をあげて廊下の鸚哥があばれた。「餌がないのかしら」 ふき子が妹に訊いた。「百代さん、あなたけさやってくれた?」 百代は聞えないのか返事しなかった。「よし、僕が見てやる」 篤介が横とびに廊下へ出・・・ 宮本百合子 「明るい海浜」
・・・ 見まい、見まいとしても顔の見える恐ろしさに、私は激しい叫び声を立てて一散に逃げようとした。狭いところを抜けようとして頻りにする身きで、始めて夢が破れたのである。 半分眼が醒めかかっても、私は夢に覚えた悲しさを忘れ切れず、うっかりす・・・ 宮本百合子 「或日」
・・・従来の純文学作家といわれた人々がこの時期の前後に長篇小説への叫び声を一つの跳込み台として通俗小説に身を投じた心理にはこれらの事情も作用していないとはいえない。 昭和十二年になってから純文学に対する論議は極めて特徴のある歴史的な相貌を示し・・・ 宮本百合子 「昭和の十四年間」
・・・ 霧、煙、ざわざわとした物音、荒々しい叫び声、息の詰まるような黄いろい塵埃。何とも言いようのない沈んだ心持ちが人々を襲って来る。女優の衣裳箱の調べが済むまでにはずいぶん永い時間が掛かった。バアルは美しい快活な少女を捕えてむだ話をしていた・・・ 和辻哲郎 「エレオノラ・デュウゼ」
・・・しかしその叫び声やしおれた顔も、その機会さえ過ぎれば、すぐに元の快活に帰って苦しみの痕をめったにあとへ残さない。しかも彼らは、我々の眼に秘められた地下の営みを、一日も怠ったことがないのであった。あの美しい幹も葉も、五月の風に吹かれて飛ぶ緑の・・・ 和辻哲郎 「樹の根」
出典:青空文庫