・・・そうして、その境涯は、可也僕には羨ましい境涯である。若し、多岐多端の現代に純一に近い生活を楽しんでいる作家があるとしたら、それは詠嘆的に自然や人生を眺めている一部の詩人的作家よりも、寧ろ、菊池なぞではないかと思う。・・・ 芥川竜之介 「合理的、同時に多量の人間味」
・・・けれども含芳の顔を見た時、理智的には彼女の心もちを可也はっきりと了解した。彼女は耳環を震わせながら、テエブルのかげになった膝の上に手巾を結んだり解いたりしていた。「じゃこれもつまらないか?」 譚は後にいた鴇婦の手から小さい紙包みを一・・・ 芥川竜之介 「湖南の扇」
・・・ 僕は大学に在学中、滝田君に初対面の挨拶をしてから、ざっと十年ばかりの間可也親密につき合っていた。滝田君に鮭鮓の御馳走になり、烈しい胃痙攣を起したこともある。又雲坪を論じ合った後、蘭竹を一幅貰ったこともある。実際あらゆる編輯者中、僕の最・・・ 芥川竜之介 「滝田哲太郎氏」
・・・けれども谷中へは中々来ない。可也長い葬列はいつも秋晴れの東京の町をしずしずと練っているのである。 僕の母の命日は十一月二十八日である。又戒名は帰命院妙乗日進大姉である。僕はその癖僕の実父の命日や戒名を覚えていない。それは多分十一の僕には・・・ 芥川竜之介 「点鬼簿」
・・・上り列車に間に合うかどうかは可也怪しいのに違いなかった。自動車には丁度僕の外に或理髪店の主人も乗り合せていた。彼は棗のようにまるまると肥った、短い顋髯の持ち主だった。僕は時間を気にしながら、時々彼と話をした。「妙なこともありますね。××・・・ 芥川竜之介 「歯車」
・・・「策略の花、可也。修辞の花、可也。沈黙の花、可也。理解の花、可也。物真似の花、可也。放火の花、可也。われら常におのれの発したる一語一語に不抜の責任を持つ。」 あわれ、この花園の妖しさよ。 この花園の奇しき美の秘訣を問わば、かの花作り・・・ 太宰治 「もの思う葦」
出典:青空文庫