・・・人間が人間を追っ駆け回す場面、人と人とが切り合う場面が全映画の長さの少なくも五割以上を占めているような気持ちがした。 こういう映画の剣劇的立ち回りではいつでも実に不思議な一種特別の剣舞の型を見せられるような気がする。それは、できるだけ活・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(3[#「3」はローマ数字、1-13-23])」
・・・先生はのそのそ置炬燵から次の間へ這出して有合う長煙管で二、三服煙草を吸いつつ、余念もなくお妾の化粧する様子を眺めた。先生は女が髪を直す時の千姿万態をば、そのあらゆる場合を通じて尽くこれを秩序的に諳じながら、なお飽きないほどの熱心なる観察者で・・・ 永井荷風 「妾宅」
・・・その方が私の性に合う。それから直接に官能に訴える人巧的な刺激を除くと、この巣の方が遥かに意義があるように思われるんだから、四辺の空気に快よく耽溺する事ができないで迷っちまいます。こんな中腰の態度で、芝居を見物する原因は複雑のようですが、その・・・ 夏目漱石 「虚子君へ」
・・・それは東雲の客の吉さんというので、小万も一座があッて、戯言をも言い合うほどの知合いである。「吉里さん、後刻に遊びにおいでよ」と、小万は言い捨てて障子をしめて、東雲の座敷へ急いで行ッてしまった。 その日の夜になッても善吉は帰らなかッた・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
・・・一通り中好くして睦じく奇麗に附合うは宜し。我輩も勉めて勧告する所なれども、真実親愛の情に至て彼れと此れと果して同様なるを得べきや否や。我輩は人間の天性に訴えて叶わぬことゝ断言するものなり。一 嫉妬の心努ゆめゆめ発すべからず。男婬・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・そう云う態度や顔に適っているのはこの男の周囲で、隅から隅まで一定の様式によって、主人の趣味に合うように整頓してある。器具は特別に芸術家の手を煩わして図案をさせたものである。書架は豊富である。Bibelots と云う名の附いている小さい装飾品・・・ 著:プレヴォーマルセル 訳:森鴎外 「田舎」
・・・ 早速それを叩いたり引っぱったりして、丁度自分の足に合うようにこしらえ直し、にたにた笑いながら足にはめ、その晩一ばん中歩きまわり、暁方になってから、ぐったり疲れて自分の家に帰りました。そして睡りました。 *・・・ 宮沢賢治 「蛙のゴム靴」
・・・真に人間の心と体とが暖り合う家庭を破壊しながら、あらゆる社会的困難が発生すると、女子はすぐ家庭へ帰れるかのように責任回避して語られる。けれども、私たちの現実は、どうであろう。私たちに、もし帰る家庭があるならば、それこそ私たち自身の社会的な努・・・ 宮本百合子 「合図の旗」
・・・只運を天に任せて、名告り合う日を待つより外はない。お前は忠実この上もない人であるから、これから主取をしたら、どんな立身も出来よう。どうぞここで別れてくれと云うのであった。 九郎右衛門は兼て宇平に相談して置いて、文吉を呼んでこの申渡をした・・・ 森鴎外 「護持院原の敵討」
・・・この悲哀にしみじみと心を浸して、ともに泣き互いに励まし合うのは、私にとっては最も人間的な気のする事です。私はこういう人に対していかなる場合にも高慢である事はできません。特にその才能の乏しいのを嘲うような態度は、恐ろしい冷酷として、むしろ憎む・・・ 和辻哲郎 「ある思想家の手紙」
出典:青空文庫