・・・そこには顔も身なりも悪い二十四五の女が一人、片手に大きい包を持ち、片手に吊り革につかまっていた。電球は床へ落ちる途端に彼女の前髪をかすめたらしかった。彼女は妙な顔をしたなり、電車中の人々を眺めまわした。それは人々の同情を、――少くとも人々の・・・ 芥川竜之介 「年末の一日」
・・・そこで吊り革にぶら下っていると、すぐ眼の前の硝子窓に、ぼんやり海の景色が映るのだそうだ。電車はその時神保町の通りを走っていたのだから、無論海の景色なぞが映る道理はない。が、外の往来の透いて見える上に、浪の動くのが浮き上っている。殊に窓へ雨が・・・ 芥川竜之介 「妙な話」
・・・ 仕方なく、アンブレラとお道具を、網棚に乗せ、私は吊り革にぶらさがって、いつもの通り、雑誌を読もうと、パラパラ片手でペエジを繰っているうちに、ひょんな事を思った。 自分から、本を読むということを取ってしまったら、この経験の無い私は、・・・ 太宰治 「女生徒」
出典:青空文庫