・・・徳行の点から見ても、宗教は自ら徳行を伴い来るものであろうが、また必ずしもこの両者を同一視することはできぬ。昔、融禅師がまだ牛頭山の北巌に棲んでいた時には、色々の鳥が花を啣んで供養したが、四祖大師に参じてから鳥が花を啣んで来なくなったという話・・・ 西田幾多郎 「愚禿親鸞」
・・・しかるに過去の経験は、旅が単なる「同一空間における同一事物の移動」にすぎないことを教えてくれた。何処へ行って見ても、同じような人間ばかり住んでおり、同じような村や町やで、同じような単調な生活を繰り返している。田舎のどこの小さな町でも、商人は・・・ 萩原朔太郎 「猫町」
・・・辛いのは誰しも同一だ。お前さんと平田の苦衷を察しると、私一人どうして来られるものか」「なぜそんなことをお言なさるの。私ゃそんなつもりで」「そりゃわかッてる。それで来る来ないと言うわけじゃない。実に忍びないからだ」「いや、いや、私・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
・・・ゆえに漸進急進の別は方法の細目なれば、余輩は、この論者を同一視して、ひとしくこれを改進者流の人物と認めざるをえず。すなわち、今日、我が国にいて民権を主張する学者と名づくべき人なり。 民権論は余輩もはなはだもって同説なり。この国はもとより・・・ 福沢諭吉 「学者安心論」
・・・成程、相等しき物は同一なりは尤もの次第で、他に考えようもないが、併し「何故」という観念が出て来ると、私はそれに依頼されなくなる。心理学上の識覚について云って見ても、識覚に上らぬ働きが幾らあるか知れぬ。反射的動作なぞは其卑近の一例で、斯んな心・・・ 二葉亭四迷 「私は懐疑派だ」
・・・柑類は皮の色も肉の色も殆ど同一であるが、柿は肉の色がすこし薄い。葡萄の如きは肉の紫色は皮の紫色よりも遥に薄い。あるいは肉の緑なのもある。林檎に至っては美しい皮一枚の下は真白の肉の色である。しかし白い肉にも少しは区別があってやや黄を帯びている・・・ 正岡子規 「くだもの」
・・・その無能力者を、刑法では、そう認めず、処罰にあたっては、忽ち同一の主婦が能力者として扱われるという矛盾は、残酷という以上ではないだろうか。日本の民法はしっかりと改正されなければならない。 内縁関係、未亡人の生きかたに絡む様々の苦しい絆は・・・ 宮本百合子 「合図の旗」
・・・この二階に集まった大勢の人は、一体に詞少なで、それがたまたま何か言うと、皆しらじらしい。同一の人が同一の場所へ請待した客でありながら、乗合馬車や渡船の中で落ち合った人と同じで、一人一人の間になんの共通点もない。ここかしこで互に何か言うのは、・・・ 森鴎外 「百物語」
・・・それは内容それ自体が、例えば十一谷義三郎氏の諸作に於けるがごとく象徴としての智的感覚を所有したものとは同一に見ることが不可能であるとしても。これら様々な感覚派文学中でも自分は今構成派の智的感覚に興味が動き出している。芥川龍之介氏の作には構成・・・ 横光利一 「新感覚論」
・・・この画は場中最も色の薄いもので、この点では竜子氏の画と両極をなしているが、しかし日本画として新しい生面を開こうとしていることは、同一だと言ってよかろう。『いでゆ』のねらう所は恐らく温泉のとろけるように陶然とした心持ちであろう。清らかに澄んだ・・・ 和辻哲郎 「院展遠望」
出典:青空文庫