・・・されどたれありて、この梅をここにまきし少女のこの世にありしや否やを知らず。 国木田独歩 「詩想」
・・・かかる全き放心の後に来る、もの凄じきアンニュイを君知るや否や。世渡りの秘訣 節度を保つこと。節度を保つこと。緑雨 保田君曰く、「このごろ緑雨を読んでいます。」緑雨かつて自らを正直正太夫と称せしことあり。保田君・・・ 太宰治 「もの思う葦」
・・・時候がちがうのか、それとも実が実として存在する期間が短く、実がなるや否や爆裂して木っ葉みじんになるためなのか、どうか、よく確かめようと思っているうちに帰京の期が迫って果たさなかった。ただこの見ぬ恋の「かんしゃく草」にめぐり会い、その花だけで・・・ 寺田寅彦 「沓掛より」
・・・物理的自然現象を限定すべき条件等がすべてこれらの有限なる独立変数にて代表され得るや否やは別問題として、現在の物理学的科学の程度において、従来の方法によりて予報をなし得る範囲は如何なるべきかが当面の問題なり。 先ず従来の既知方則の普遍なる・・・ 寺田寅彦 「自然現象の予報」
・・・凌雲閣上人豆のごとしと思う我を上より見下ろして蛆のごとしと嘲りし者ありしや否や。右へ廻れば藤棚の下に「御子供衆への御土産一銭から御座ります」と声々に叫ぶ玩具売りの女の子。牡丹燈籠とかの活人形はその脇にあり。酒中花欠皿に開いて赤けれども買う人・・・ 寺田寅彦 「半日ある記」
・・・谷崎君が批判の当れるや否やはこれを第三者に問うより外はない。紅葉先生は硯友社諸先輩の中わたくしには最も親しみが薄いのである。外国語学校に通学していた頃、神田の町の角々に、『読売新聞』紙上に『金色夜叉』が連載せられるという予告が貼出されていた・・・ 永井荷風 「正宗谷崎両氏の批評に答う」
西暦一千九百二年秋忘月忘日白旗を寝室の窓に翻えして下宿の婆さんに降を乞うや否や、婆さんは二十貫目の体躯を三階の天辺まで運び上げにかかる、運び上げるというべきを上げにかかると申すは手間のかかるを形容せんためなり、階段を上るこ・・・ 夏目漱石 「自転車日記」
・・・だから長谷川君についても別段に鮮明な予想は持っていなかったのであるけれども、冥々のうちに、漠然とわが脳中に、長谷川君として迎えるあるものが存在していたと見えて、長谷川君という名を聞くや否やおやと思った。もっともその驚き方を解剖して見るとみん・・・ 夏目漱石 「長谷川君と余」
・・・一見道義的で貫ぬいている浪漫派の作物に存外不徳義の分子が発見されたり、またちょっと考えると徳義の方面に何らの注意を払わない自然派の流を汲んだものに妙に倫理上の佳所があったり、そうしてその道義的であるや否やが一にその芸術的であるや否やで決せら・・・ 夏目漱石 「文芸と道徳」
・・・而して今日の無矛盾性の数学は、果して当時考えられたる如く十全なりや否や。スピノザ哲学においては、右の如き立場の相違が明にせられなかったのは、主語的論理的であった故であると思う。そこには論理的立場の転回がなければならない。しかし私は右の如く科・・・ 西田幾多郎 「デカルト哲学について」
出典:青空文庫