・・・それがどう思ったのか、二階の窓から顔を出した支那人の女の子を一目見ると、しばらくは呆気にとられたように、ぼんやり立ちすくんでしまいました。 そこへ又通りかかったのは、年をとった支那人の人力車夫です。「おい。おい。あの二階に誰が住んで・・・ 芥川竜之介 「アグニの神」
・・・その跡には、―― 日本の Bacchanalia は、呆気にとられたオルガンティノの前へ、蜃気楼のように漂って来た。彼は赤い篝の火影に、古代の服装をした日本人たちが、互いに酒を酌み交しながら、車座をつくっているのを見た。そのまん中には女・・・ 芥川竜之介 「神神の微笑」
・・・お蓮は呆気にとられたなり、しばらくはただ外光に背いた、この陰気な女の姿を見つめているよりほかはなかった。「いかがでございましょう? 置いて頂けましょうか?」 お蓮は舌が剛ばったように、何とも返事が出来なかった。いつか顔を擡げた相手は・・・ 芥川竜之介 「奇怪な再会」
・・・保吉は呆気にとられたなり、しばらくは「御用ですか?」とも何とも言わずに、この処子の態を帯びた老教官の顔を見守っていた。「堀川君、これは少しですが、……」 粟野さんはてれ隠しに微笑しながら、四つ折に折った十円札を出した。「これはほ・・・ 芥川竜之介 「十円札」
・・・ 幕引きの少尉は命令通り、呆気にとられた役者たちの前へ、倉皇とさっきの幕を引いた。同時に蓆敷の看客も、かすかなどよめきの声のほかは、ひっそりと静まり返ってしまった。 外国の従軍武官たちと、一つ席にいた穂積中佐は、この沈黙を気の毒に思・・・ 芥川竜之介 「将軍」
・・・ 保吉は呆気にとられたまま、土埃の中に断続した二すじの線を見まもった。同時に大沙漠の空想などは蜃気楼のように消滅した。今はただ泥だらけの荷車が一台、寂しい彼の心の中におのずから車輪をまわしている。…… 保吉は未だにこの時受けた、大きい教・・・ 芥川竜之介 「少年」
・・・しかし今日はどうしたのか、お嬢さんも坊ちゃんもただ呆気にとられたように、頭さえ撫でてはくれません。白は不思議に思いながら、もう一度二人に話しかけました。「お嬢さん! あなたは犬殺しを御存じですか? それは恐ろしいやつですよ。坊ちゃん! ・・・ 芥川竜之介 「白」
・・・これにはさすがの日錚和尚も、しばらくは呆気にとられたまま、挨拶の言葉さえ出ませんでした。が、女は和尚に頓着なく、じっと畳を見つめながら、ほとんど暗誦でもしているように――と云って心の激動は、体中に露われているのですが――今日までの養育の礼を・・・ 芥川竜之介 「捨児」
・・・ 番頭は呆気にとられたように、しばらくは口も利かずにいました。「番頭さん。聞えませんか? 私は仙人になりたいのだから、そう云う所へ住みこませて下さい。」「まことに御気の毒様ですが、――」 番頭はやっといつもの通り、煙草をすぱ・・・ 芥川竜之介 「仙人」
・・・ 良平は一瞬間呆気にとられた。もうかれこれ暗くなる事、去年の暮母と岩村まで来たが、今日の途はその三四倍ある事、それを今からたった一人、歩いて帰らなければならない事、――そう云う事が一時にわかったのである。良平は殆ど泣きそうになった。が、・・・ 芥川竜之介 「トロッコ」
出典:青空文庫